つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

スーパーカブに見えた些細な日常の感動

今のご時世、大きかったり、派手だったりするものが評価されるような感じがあります。
お金を大量に使ってどでかい企画を打つYouTuberさんが人気だったりとか。
創作の世界でも、魔法はもちろんのこと、すぐに舞台が異世界に飛んだりだとか。

たぶんこれは『わかりやすさ』というところにあって。
情報がもはや”氾濫”状態にある超高度情報社会の今なので、とにかく大げさなことをやって注目を引かないと生き残れない、そんなところがあるのかもしれません。

そんななか、そこまで大きなプロモーションもなく、ひっそりとはじまったアニメ「スーパーカブ」。
私は放送地域にいないこともあり、今第一話を見ました。
正直なところ、前半はテンポが遅い感じがして、この作品見れるのかな、と思いながら見ていたのですが、後半になって、主人公の女の子がまさにタイトルにあるHondaの『スーパーカブ』を買うところから、一気に物語が開けました。

ネタバレを気にするような作品ではないと思うので書いてしまいますけど、一話だけを見れば、女の子がカブを買って、初めてのエンストを経験して、それを乗り越える、という、それだけの話なんです。
エンストも止まっている安全な場所でしたもので、路上とかでやってしまって絶対絶命!みたいな大状況ではありません。

でもね、これが心に響いたんですよ。
原付の免許を取り立ての女の子が、余り経験もない中、色々考えながら、地味だけれども彼女にとっては大きな困難を、一人で乗り越える、ということが。

本当に、小さなお話し。
同じ時期に放映されているような番組と比較してしまったら、ものすごく小さな状況の動きだと思います。
でも、私はものすごく感動してしまった。

 

人の心を動かすのって、トリガーとなるきっかけが大事なだけ出会って、本当はその出来事の大きい小さいって、関係ないんですよね。
私たちは、大きいものに振り回されるようなクセというか、それに慣れてしまっていましたけれども。
地味だけど、小さいけれども、そのひとつが大事にされていれば、真心が込められていば、誰かに届くということも、忘れずにいたいな、と思いました。

 

 

1話完結じゃないか?と思えるほど、一話だけでとてもよくまとまったお話しだったので、逆に2話以降が大丈夫かな、という出来が良かった故の不安が首をもたげてきているスーパーカブでした。

西園寺琴歌とボイスアイドルオーディション

シンデレラに、今年もボイスアイドルオーディションがくるみたいですね。

色々なワクワク、ドキドキが見えてくるこのイベントですが、弊担当である西園寺琴歌嬢の人気も垣間見えて、非常に良いムードができているなと感じます。

 

私が本格的にデレステを始めたのは、去年の「Key」コラボがきっかけでした。
当時の記録(※Twitterです)を振り返ると、5月の頭の時点で琴歌嬢に多少興味を持っていたことは分かるのですが、当時はここまで沼るとは思わず、ボイスアイドルオーディションは投票すらしていなかったと思います。

f:id:tsurumau_yuki:20210413231525j:plain

まだあどけなさが残る一枚。

 

最大の目的は、琴歌がボイスアイドルオーディションで勝つことです。
ただ、それは最終目的であって。
その中で、琴歌の魅力をより多くの人に知ってもらえることを大事にしていきたいと思います。

だって、きっと、その魅力を知ってもらえば、必ずファンは増えていきますから。

 

無理はしない。
何かを切り詰めたりもしない。
他を貶めて彼女の価値を上げようとも思わない。
彼女なら、正々堂々と、真っ正面から全てを受け止め、階段を一段一段、軽やかに、しかし力強く上がっていってくれることでしょう。

 

西園寺琴歌に、歌声を。

西園寺琴歌を、どうぞよろしくお願い致します。

「逃げ」「先行」「差し」「追込」あなたはどの脚質?

ゲームとしてはサービス開始から1か月少しで、実際の競馬にも大きな影響を与えている「ウマ娘」。
嘘か本当か、『スポーツ紙の競馬欄がウマ娘化している』というニュースもありまして、実際の競馬の世界にも一部受け入れられるくらい、ウマ娘のゲーム自体の出来がいいことの証明なんだろうなあと思っております。

ということで、わかりやすい指標である脚質に着目して、自身がどの脚質なのかを考えてみました。
完全にお遊び企画です。

 

まず、【逃げ】はどうでしょうか。
基本私はバクシン教でないとURAに勝てないトレーナーなので、いつもバクシンしている印象があるかとは思いますが、実際は全く向いていません。
まず逃げは、物事のまず最初から追っかけ初めて、いきなり先頭に立って最後までぶっちぎるタイプになりますが、物事の端緒を探すことがまず不得手です。
更に、先頭に立ってもそのままバクシンは出来ず、後ろから追ってくるウマの音が気になりすぎてスピードが上がり切らないので、私にとっては極めて『適性がない』脚質Gくらいだと言えます。

 

次に、【先行】です。
いくつかの要素においては、先行のような形で走ることもあります。
ただ、先行で走っていると、いつの間にか後から来た先行や差しに抜かれてしまって、パッとしません。
どちらかというと、『先行で走っていき、レース全体のペースを作る』ことには長けているペースメーカーではあるので、そこで送りバントをすることは長けているようなのですが、そのまま1位でぶっちぎることは出来ない感じですね。
ということで、適正としてはDくらいでしょうか。

 

続いて、【差し】です。
おそらくですが、私がハマれば一番向いているだろうなと思うのが、この”差し”です。
あらゆるデータを分析して、「ここなら自分が勝てる」という側面を炙り出し、自分の強い要素で勝つ。
いくつか、変わったスキルも持っていますから、それをある程度計算しながら、後は運とでまかせで何とかする。
そんな感じですので、一応仮置きで、Aと。

 

最後に、【追込】。
先ほど「差しが最適の脚質だ」と書きましたが、現実として、一番取っている作戦はおそらくこの『追込』です。
というのも、差しに向けて準備して準備して、間に合わないことが多い。
なので、掛かり気味にスタートで出遅れて、追い込みをかけるしかなくなるんですよね・・・
旧場で変な馬鹿力は出るので、何とか上位には食い込んでくるのですが、最後の伸びには時間が足らず、3位近辺をうろうろする。
そんなことを何回やったかな・・・という感じです。(遠い目)

 

少し前に、「私の脚質は?」というふざけたアンケートをぶったことがありまして、多くの方がスルーされる中確か2人だけ回答してくれた方がいたのですが(黒歴史にしておいた方がいいのでは)
それで票が入ったのが「先行」と「追込」だったので、この方欲見ていらっしゃるな、と思いました。
そう、たぶん「先行」と「追込」をやってることが多いんですよ。
多分差しが適正なのに。

 

 

もちろん、普段の生活は競馬ではないし、私もウマ娘ではありませんので、ほんのお遊びなのですが。
そんな感じで、自分の”脚質”を考えてみるのも、なかなか面白いですよ。

宇佐見りん「推し、燃ゆ」に見る”推し活動”のイマ

芥川賞を受賞した宇佐見りん「推し、燃ゆ」を読みました。
フォロワーさんが読んでいたり、声優でもミューレ3期生の宮沢小春さんが読んでいたりと、少し気になっていた本なのですが。
『ファン活動をするオタクの話』だということを知って、これは読んだ方が良いだろうと、急いで買いに行きました。

宮沢さんが『30分程で読める』と書いていましたが、私もそのぐらいで読んだのかな。
おそらく、これは”早く読める人の30分”なので、それ以上かかる人もいるかとは思いますが、それでもこの手の作品では短い方だと思います。

で、感想を書こうと思ったんですが、私が書こうとすると、あらすじをなぞる感じになり、ネタバレのオンパレードになってしまいそうだったんですよ。
なので、今回はそれは控えて、この作品が生まれた背景なんかを読み解いていこうと思います。

どちらかというと、『面白すぎるやろこれ』というよりは、センター試験の問題に出てきそうなタイプの作品ですね。

f:id:tsurumau_yuki:20210411192210j:plain

「推しが炎上する」という引きの作品ということもあって、残念ながら明るい作品ではありません。
ただ、ひとつ言えるのは、リアルがしっかりと描かれているということ。
オタクでもなく、ファン活動もそこまでわからない一般の人にとっては、もしかすると現実味がないのかもしれません。
でも、そこに触れている人なら、必ず分かる。
「あ、これ、リアルだ」と。

激情的ではなく、むしろ淡々としている。
でも、その展開には、既視感ががあって。
そこに記されていたのは、紛うことなき、推し活動を行う私たちの姿でした。
作中ではファンのタイプを類型化して評する場面があって、それは本当に性格。
なので、本の世界に没入しながらも、自分はどのタイプだろう?と冷静に振り返りもしながら、読み進めたりもしました。

 

この作品のもう一つのテーマは、個人と人間関係です。
これはあまり感想で書く者でもないかなあと思います。
この部分をクローズアップして書いている書評も見ましたが、正直言って、私は主人公ほどではないけれども近い状態に陥っていた時期があるので、それを取り上げてどうだって言う気は全然なくてですね。
誰だってこういう所はあるよ、という言葉に留め置きたいなと思います。
決して変ではない。

最後まで読んで、この作品が『芥川賞』に何故選ばれたかが、少しわかった気がしました。
これは、ある意味で”現代版オタクの『蜘蛛の糸』”なんですよね。
だから、あの終わり方だし、この賞に選ばれたんだなと。

 

 

ハッピーな読後はお約束できません。
ただ、この作品を読んでほしい人が、何人か浮かんでいます。
そんな人に、おすすめです。

イベントとの距離感

シフトで働くことになった関係で、イベント参加について少し離れた位置から考える感じになりました。
いや、こちらの生活はまだわからないことだらけですけれどもね。

 コロナを経て、イベントについての捉え方って、大きく変わったなあと感じます。
主催する側だけではなく、参加する側の私たちの捉え方も。 

まず、これがいい考え方かどうかは別として、『ファンならイベントに参加しよう』という考え方って、コロナ前はあったと思うのです。
ある意味では、それがひとつの正義、メジャーな考え方でした。
だから、全通している人が「すごい」と言われたりして、ファン側のアイデンティティになっていたりもしました。
それは、非常にわかりやすい結果でありながら、ややもすると取り残されてしまう不安もあったりして。
色々な部分を切り詰めながら息切れしていた人も少なからずいたのかな、と思います。

ただ、今の時代になって。
イベントに行くことが、必ずしも正義ではなくなってしまったんですよね。
『この状況の中でもイベントをやるのであれば行くのが道理』という声もあれば、
『いろいろな面を考慮して”行かない”という選択を取る』ことも道理。
どちらが正しいとは、言えない。

 

それに呼応するようにして、そのイベントの感想でにぎわうことが減りました。
そう、参加した人が、あまり感想を公開しないようになったんです。
これはある種ありえた流れで、職場の人なんかとSNSでつながっていたりする場合って、あまりイベントに参加したことを表に出せないもの。
また、身近に『参加しない』という選択肢を取った人がいれば、嫌味に聞こえてしまうかもしれないから、発言には気を付ける感じになったりもする。
そうなると、大々的に感想を書けない、といった感情が生まれるのも不思議ではありません。

 

また、別の切り口として、露出度という観点も。
・・・衣装の話じゃないですよ?

これも人やコンテンツによるのだと思いますが、コロナ後に目にする機会が増えた人って、意外と多くて。
例えば、コロナを機に、SNSをやっていなかった人がやるようになったりですね。
イベントができないから、オンラインでの活動が増えたり。
そして、それがアーカイブ化されて、日常的に見ることができるようになったり。

あまりよくない話ですけれども事実として、いつもはイベントで会えていた(目にしていた)人って、『いつも見ているから』という理由で、ややもするとネットとか作品のお仕事とかはスルーしがちだったところが、あったじゃないですか。
それが、イベントがないからこそ、その人が関わっている作品を注目するようになった、という私たちファン側の心理もだいぶ変わった気がしていて。

生身で見る機会は減ったものの、ネットを通じて見かける機会を加味してみると、意外と『増えてる…?』という人、結構いると思うのです。

そうなると、その人に対しての”レア度”が下がっていくところはどうしてもあって。
結果、イベントに行くという選択肢が数多くの選択肢のうちの一つになり、そこまで優先する部分ではなくなってしまうこともあるのかな、と思いました。

 

今週は、もし自分に余裕があってチケットが取れそうなイベントがあれば、行くのもアリかな、と思っていたんですよ。
ただ、色々調べていたら、”一般チケットが余っている”というイベントがあって。
え?たしか人気のイベントだったんじゃなかったっけ、と思ったら、

募集をかけていた時期がちょうど”緊急事態宣言が発出されていた時期で、それがあけたから座席100%でやることになって、残りの半分を一般で売り出した

ということがわかりました。
そら、よっぽどの大人気イベントでなければ、2日足らずで500席埋めるのは至難の業ですよね・・・

しかも、これは私が行く予定のイベントでもあったことなのですが、50%でやる予定だったところを100%でやるので、隣に他のお客さんが入りますよ、みたいな状態になっていて。
なかなかカオスだな、と思ったりもしました。

これに加えて、また大阪や東京では『マンボウ』と呼ばれるなぞの制度が敷かれることになりまして、東京のほうでは
『ゴールデンウイーク中の旅行は延期』
マンボウ中は買い物以外は外に出ないで』
みたいな話になってきて、実質緊急事態宣言みたいな感じやんと、なんともモニョっとした感情でございます。
これを受けて、色々変更があるイベントも出てくるだろうなとは思います。
ただ、このあたりは、仕方ないことなんですよね、今の状況を考えると。

これらの対応がいい悪いということではなくて。
何が大事かというと、今って
『イベントを安定してできる状態とは言えないし、また安心してイベントに行ける状態では正直なところない』
んですよね。
開催する側も、参加する側も、色々な不安を抱えながら、微妙なバランスの上の平行棒を歩いているような感じ。
人によっては、薄氷の上とか、綱渡りのロープの上をなんとか渡っている感じの人も居るかもしれません。
そうやって、互いになんとか道を模索しながら、イベントって成立している状況なんだなあと、改めて思います。

だから、参加する人もどこかしらでリスクを取っている部分があるから大変だなとも思いますし、反面、参加しないという選択肢をとっている人を嘲るような流れはできてほしくないなとも思います。

 

このあたりは、コロナがあったからこそ見えてきた部分であって。
もしかしたら、その前から似たような状況の人は、いたんだろうな、と思います。

また、元に近い状態でイベントなどが再開されていったときにも、今感じたことをできるだけ忘れないようにしたいな、と思いました。