今期のアニメに『理系が恋に落ちたので証明してみた。』(通称:リケ恋)という作品があります。
この作品は、「恋愛経験が乏しく、『好き』という感情がわからない理系大学生たちが、彼らの専門とする『証明』というツールを使いながら、恋とは何なのかを突き詰めていく」というストーリーになっています。
現在に至るまで、好きとは何か?恋とは何か?愛とは?という問いに、数式でバチッと示すことができた人はいません。
今日はそんな、「好き」にまつわるお話です。
突然ですが、『好き』の反対は何だと思いますか?
多くの方が『嫌い』だと答えると思います。
ただ、もう一つの考え方があるのではないかと、最近思うようになりました。
それは
『好きの反対は嫌いではなく無関心』
こちらです。
この考え方には、賛否色々あると思いますし、すべてのケースに当てはまるわけではありません。
ただ、よくよく考えてみると、嫌いな人には、関わりたくないものですよね。
理由は数あれど、関わらなくていいなら関わらずに、関係性を最小限に留めたいもの。
ただ、私たちはときに、”嫌い”と言ったものに対して、深追いしてしまうことがあります。
特に、元々好きだったものであれば尚更。
恨み節を言ってしまう、これをこうしたほうがいいと言及してしまう。
ダメージを受けてお気持ちを表明することもあります。
しなけりゃいいのに・・・と思うかもしれませんが、それでもしてしまうんです。
そうせざるを得ない、何かの感情がある。
それは、関心がある、ということなんです。
なので、厳密には「好きの反対は無関心」ではありません。
”関心がある”の反対が、無関心。
そして、その『関心がある』の中には、好きも嫌いも含まれている。
向いている方は、違いますけどね。
類似したものにこんな言葉があります。
『正義の反対は悪ではなく別の正義』
正義というのは、”今の”世の中に対して正しいと思われる行為。
逆に悪は、”今の”世の中において間違っていると思われる行為。
そう、『今の』なんです。
時代によって、善いこと、悪いことは目まぐるしく変わっていきます。
これは、人間が社会的な生き物で、常に他人との間でバランスを取りながら生きているからなんです。
時代によって、考え方が変わる。
スタンダードはかわる。
天動説が信じられていた時代に、地球が太陽の周りをまわるという地動説はマユツバものの話だと思われていた、つまり悪だったわけですね。
コペルニクスらの奮闘により、地動説が現在では証明されました。
正義も悪になり、悪も正義になった例です。
ただ、もしかすると、時代が更に進んで科学がさらに発達すると、実は地動説も違った!みたいな話になるかもしれません。
それはわからないのです。
正義とは、それだけあやふやなものなんです。
両方に共通するのは、”ベクトルが真逆”ということ。
ベクトルというのは、グラフなどにおいて矢印がどっちに向いているかという、方向を示すものでしたね。
それが違う、ということなんです。
そして、そこで出てくるのが、絶対値です。
”絶対値”とは、ゼロからどれだけ離れているかを表す正の数字のことです。
そこにはプラスもマイナスもありません。
ゼロからどれだけ離れているか。
つまり、自分が何もしない状態をゼロとして、何かしようとするエネルギーが、オモイの大きさが少なくとも発生しているのが「絶対値」なんです。
<テキストによる図解(←なんか矛盾してる)>
嫌い← -5(絶対値5) ─0─ +5(絶対値5) →好き
※ともに絶対値5
何かをものすごく好きだった人が、いつの間にかアンチになっている。
けっこう見かける現象です。
これも決して不思議なことじゃなく、何かのきっかけで数値に「マイナスがかかってしまった」んです。
+5だったのが、マイナスがかかって-5になってしまった。
だから、くるっと変わるのです。
あとは、ものすごく明快な例にはこの四文字があります。
「ツンデレ」。
・・・説明は省きます。
『アマいだけのバニラより ちょっと塩した方が 甘味も増してゆくしね 飽きがこない』
(堀江由衣「バニラソルト」より)
のです。
本当に好きでなくなる瞬間は、嫌いになった瞬間ではなく、関心が全くなくなった瞬間なのではないか、そう思います。
もちろん、ケースバイケースではあります。
「嫌よ嫌よも好きのうち」が全部正しいというわけではありませんし、どちらかというと「好きなものを嫌いになった」とかそういうケースを念頭に置いた話だと思っていただいたほうがいいと思います。
ただ、私達は時代の流れにより、リケ恋に同じく「『好き』とはどういう状態なのか」がだんだん分かりづらくなってきているような、そんな感じもします。
無意識に周りの目を気にしすぎる時代なので、様々な理由で『好き』という状態が生じているかもしれない。
ただ、大事なことが一つあります。
往年の名作が教えてくれました。
「きみとぼく」。
セカイ系です。
好きというのは、わたしとあなただけの関係性において、どれだけ絶対値が大きいか。
そこにどれだけの思い入れがあるか。
そこがポイントになってくると思います。
その思いは、もしかすると、負のベクトルに行ってしまっているかもしれない。
それは『嫌い』なのかもしれない。
ただ、それは決して”無関心”ではない。
『どうでもいい』ではない。
セカイ系がすべからく恋愛ものになるのは、たぶん、そこなんですよ。
ということで、
ここまで延々と、「好きの反対は無関心」という持論を書きたいがためにつらつら書いてきたわけですが、あくまでも個人が感じたことです。
上に書いたとおり、正義はひとつではなく、たくさんあります。
そしてそれは、環境や時代によって変わります。
ただ、この文章が、皆さんの「好きってなんだろ?」ということについて考えるひとつのきっかけになればと思い、こんなテキストを書いてみました。
以上です。
P.S.
雨宮天さんが歌う「理系が恋に落ちたので証明してみた。」のオープニングテーマ、『PARADOX』が、可愛いに極振りしていてめちゃくちゃ可愛いのでぜひ一度ご覧ください。1月15日(水)発売です。
雨宮天 『PARADOX』Music Video(short ver.)