私のことを話すと、元はあんまり遊ぶ方じゃなかったんですよ。
「今を犠牲にしてでも、未来のために」という選択肢を選ぶくせがあって。
生真面目だったのか融通が利かなかったのか、そのスタイルは社会人になっても続いていました。
ただ、あるときパラダイムシフトが起こります。
『これって、今を犠牲にしているだけじゃなく、未来も食い潰しているんじゃないか』と。
そう思ってから、私は未来に空手形の投資をすることをやめ、好きなことをやるようになりました。
平日が仕事で辛いのは仕方ない。
だけど週末になればイベントがあるし、たまには旅行も行ける。
そこで発散できるから大丈夫。
このスタイルは歳を重ねても自分は大丈夫だから心配していない。
そんな考え方をしていました。
しかし、そこでまたパラダイムシフト。
全世界的な危機が起こって、そのスタイルが保てなくなって。
最初は、望みは捨てていませんでしたよ。
『いっとき乗り切れば、きっと元に戻る』
ただ、それから何ヶ月か。
それが夢物語だと、いつしか悟っていました。
何でもかんでも、変わらずには居られないんですよね。
CLANNADの前文にもあるように。
古くは、平家物語の序文に『諸行無常』と、この世のすべては絶えず変化していくと謳われているように。
そうして振り返ってみたときに、どこからか、言いようのない焦りが首をもたげてきました。
そう、何もやっていないんです。
何もできていないんです。
この何ヶ月か、自分で何か足を前に進めたことがあったか。
習得したスキルがあったか。
明日を生きるために、何かに挑戦したことがあったか。
今の状況のせいにして、今を守ることを理由にして、何もしなかった。
この期間に研鑽を重ねてきた人の、その努力と成果を知る機会がありました。
自分なんて、薄っぺらかった。
色々理由を付けて、こねくり回して、勝手に納得して。
同じところをぐるぐる回っているだけで、何も前進していない。
今だけを、生きすぎたのかなと思いました。
昔から、アイディアや方策は思い浮かぶタイプです。
ただ、致命的な欠点として、本人がこれをやりたい、という柱がない。
これは、まだ見つかってないだけかもしれないし、ずっと空っぽなのかもしれない。
だけど、それに対してとても焦燥感がある。
これが、今の私なんですよね。
何をやるにも、夢や目的がない状況です。
だからこの状況で走っても効率が悪い。
ただ、それでも手元に持っているスキルだけは研ぐことを忘れずに、毎日できることを積み重ねていくことしかできないのだなあと、思いました。
抽象的な話で、とらえどころがないかもしれませんが。
文章に起こしてみることが大切じゃないかと思ったので、認めてみました。
書くことも、自身の大事な要素だと思っているので、とりあえず。