つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

自分を定義することの怖さ

生きてる時間が長くなればなるほど、自分を

「こういう人間です」

と定義することを、怖いと思うことが増えました。

 

私の場合、新しく知ったものを取り込むタイプなこともあって、好きなものがわりと頻繁に変わります。
もちろん、長らく好きなものもありますが、その数はやっぱり多くはないですよね。
嫌いになったり、時期が来て「もう合わないな」と思って変わることもありますが、他の興味がより強いものが出てきてそちらに傾倒する、ということの方が多いような感じです。

そうなったとき、前に関心があったものって、今の自分の定義ではないんですよね。
Aというコンテンツの熱心なファンだったのは事実だけれど、今は違う。
ただ、周りのイメージは『Aのファンの人』という感じに、ズレが出てきてしまう。

周りからの評価なんか、気にしなくてもいいという考え方もあります。
実際、そこまで気にしなくてもいいんだと思います。
ただ、今って自分の趣味を、同じ趣味だったり近い趣味の人と共有して、それでさらに多幸感を増幅させる楽しみ方って、間違いなくあって。

今の自分だと、「これだけを突き詰めて、自分だけよければすべてよし」というのではなく、「多くの人の楽しいが集まった楽しさ」を求めている部分もあるんですよね。
だから、周りからどう見られるかというのは、完全に無視していいものではないなあとも、思っています。

 

人をバシッと定義することは、たぶんできないんです。
それは自分であっても、他の人であっても。

 

いっそのこと、なんだかよくわからない人、でいいのかもしれませんね。
『追ってる人やコンテンツがすぐに変わる人』という定義でも、極論いい。事実なので(笑)

いいんです、楽しければ、それで。