つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

参加予定だったライブが延期になりました

私には、イベントが中止になったり、自分が参加できないことを頭のどこかの片隅において行動する、変なくせがあります。
もともと自分の思い通りに行かないと気持ちが極端に滅入ってしまう性格が一因にあって。
幼い頃から、例えば町内会の旅行とか、遠足とか、楽しみにしていた友達とのあそびの約束とか、そういったものは
『中止になる可能性がある』
という前提を置いて、そこから逆算して気持ちを高めていく、ということをしていました。

今でも、例えば中止予定が全くないイベントだったとしても、出演者がインフルにかかったり体調不良で登壇しないかもしれないとか、電車が止まってイベントに間に合わないかもしれないとか、そういったマイナス要素を前提にしながら、イベントに参加していました。
暗い人かもしれません、実際そうなんだと思いますです。
そうすることによって、万が一イベントがなくなったときも、”失敗の予行演習”的なことができているのでダメージは何もしないときより小さく、またちゃんと開催されたときは、色々なリスクが一気に吹っ飛ぶので、尚更「良かったねえ」と思ったり、楽しさが増すというメリットがありました。

 

うって変わって、今。
今の状況で、普通に考えたらイベントは開催されません。
そのくらい、分かっています。
でも、上で書いたこととは逆に考えるようになってしまいました。

『もしかしたら、様々なハードルをかいくぐって、万が一開催されるかもしれない』と。

わかってる。
わかってるんですよ。
この状況で、ほぼ無謀だったことは。

でも、少しずつ出てくる情報に、希望の光を観てしまったんです。

しょうがないじゃないか。

中止になる可能性しかないものに、一縷の望みを見出してしまったとき。
推測どおりイベントが中止になってしまったら、そのダメージってふつうの時より増幅されるんです。

わかってる。
わかってるんですよ。
でも、いつもに増して悔しい。
なんとかかんとかハードルを乗り越えて、奇跡のような選択肢を選び続けて、開催に至る可能性は何億分の一かも知れないけれども見出してしまったその光が、絶たれた瞬間というのは、目の前が真っ暗になってしまいます。

 

イベントというものは、様々な運がよくないと参加できない、宝くじみたいな娯楽になってしまったのかもしれません。
そう思うと、やるせない気持ちでいっぱいです。

 

普段なら、
『イベントが開催される可能性が1%でもあるなら、ゼロかイチかの違いだから是非その1%にかけて行動しましょう!』

的なことを書く気がするんですけど、今日ばかりは、静かに落ちこませてください。