つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ミリシタに見た、「変わる」ことの大切さ

引き続き、ミリシタのメインコミュを進めているのですが、ミリシタのメインコミュって、

  • アイドル本人に代えがたい魅力がある
  • アイドルは強いこだわりや信念を持っている
  • そのこだわりがステージの成功を妨げるひとつのマイナスになっている

というものが多いなと思います。

アイドル達は、様々な方法でその壁を乗り越えていくのですが、基本的に何かを突き詰めて限界まで取り組んだことで成功するストーリーってほとんどなくて。
こだわりをやめたり、結果的にこだわりは捨てないのだけどそこに至るまでのプロセスで考え方を少し変えたりして、「変わる」ことで乗り越えていくんですね。

これって、物語として実はすごいことじゃないかと思ったんです。

基本的に、「おはなし」の世界の登場人物は、性格や考え方が基本変わりません。
なぜかというと、非常にドライな見方をしますとキャラクターってひとつの記号なので(愛はありますがひとつの解釈なのでご容赦ください)、多くの人が見て
「この人はこういう性格!」「こういうビジュアルをしている!」「目標に対してはこういう考え方!」
というのが一致していないと、同じ作品を同じように捉えることができないんです。
だから、物語の中で、性格が頻繁に変わったり、考え方が変わったりすることは、あまり多くありません。
せめて、最後に悪役が改心したり、物語の叙述トリックとして一度だけ大きく性格を変えるキャラがいたりするくらい。
国民的アニメでも、”ネコ型ロボット”が世紀末覇者的に世界を己の拳ひとつで制しようとしたり、”見た目は小学生”の探偵が犯罪グループを率いたりすることはないわけです。

また、物語のキャラクターがよく『一途だ』『筋が通っている』『男気がある』と言われますが、実はそれはそうなんです。
物語のキャラクターは、逆に性格を大きく変えられない。
だから、一途に見えるんです。

これを現実世界でやる人がいるとすると、その人は”ストイック”と呼ばれます。

さて、ミリオンのアイドルたちを見て、ストーリーを読み進めてみると、何か違和感がある。
ビジュアルこそヴィヴィッドでカラフルですが、性格などを思い返してみると、妙に”人間くさい”んです。

お嬢様であると自称しながら、実はお嬢様ではないことを隠してセレブを装う女の子。
表舞台では元気いっぱいに振舞うけど、普段はとてもおとなしい女の子。
アイドルでありたい、歌手でありたいと思いながら、家族に反対されてストイックにならざるを得ない女の子。

いるんです。
彼女たちのような人は、確実にいる。
たいていの作品のキャラって『現実にはそんな人いねえよ』と一蹴されてしまうのですが、ミリオンのアイドルについては、現実にいてもおかしくないんですね。
”実際の世界に存在しないとは言えない子”たちなんです。

つまり、キャラクターを、私たち生身の人間と同じような存在として設定しているんですよね。

そして、彼女たちは、ストーリーを通して、少しずつ変わっていっているんです。
考え方も、少しずつ変わっていく。
これって、他の作品でもゼロじゃないですけど、珍しいなあと思っていて。

先ほどの裏返しで、変わるということは「一途でない」「筋が通ってない」とも捉えられるので、いいことじゃないんじゃないか、という考えにもなりそうです。
でも、そうじゃないんですね。

そもそも、人間って、その人の本質ってそんなに変わらないんです。
考え方は変わります。
環境に応じて性格も変わることがあります。
でも、その人の根幹って、めったに変わらないと個人的には思っていて。
その根幹さえ変わっていなければ、それ以外が変わることって、一概に悪いこととは言えないと思ってるんです。

そこで、『変わる』ってどういうことなのか考えてみますと。

変わるということは、成長すること、なんですよね。

今まで知らなかった何かを学んで、取り込んで、今までにない答えを出すということ。

例えば、今までは両手を使ってしか足し算ができなかった子どもが、筆算で計算できるようになった。
更にそろばんで計算できるようになった。
更に電卓を駆使するようになった。
更にパソコンでプログラミングを始めた。

これって、傍から見たら”成長”なんですけど、新しいものを知って、その考え方とやり方を取り込んで、「変わって」いるんです。
このことについて、『道具を使って楽してるだけだから悪いことだ!』という人はきっと誰もいないですよね。
かわるって、そういうことなんだと思います。

なので、こういう共通認識が求められる作品の中で、キャラクターをどんどん変わらせることはすごいことだなと思いましたし、だからそこに魅力があるのかなとも思います。

ここで一気に話を現実に世界に飛ばしましょう。

『一貫していることは素晴らしい』という見方は、現実の世界でもあります。
まさに、ミリオンと世界観を同じくする現実のアイドルさんなど、表舞台に出る人もそうでしょう。
そして、単なる一般の男性、女性である私たちも、人と関わる以上、多かれ少なかれそういう見方をされることがあります。
生きている誰もが、変わらないことと変わることの天秤に悩まされます。

でも、変わっていいと思うんですよね。
生き物は、生きている以上、常に何かが変わっているはずなんです。
美味しいものを食べればおいしいと思うし、悲しいニュースを見れば哀しいと思う。
その日の気分によってファッションも変えるし、目的を果たすために方法が違うなと思ったら別の方法を考える。
変わり続けているんです。

では、何かが変わったからその人でなくなるか、というと、そんなことはない。
意識しているかどうかはわからないものの、私たちには変わらない根幹のようなものがあって、それって多分、そんなに変わらないんです。
行動の根源というか、その人のヴィジュアルにとらわれない魅力というか。

だから、変わることを恐れずに、変わっていっていいと思うんですよね。

その変わることについていろいろ問題が起こるのは、たぶん、その変わる部分を『変わらないで』と約束した状態で物事が進んでいくからなんだと思います。
この部分は変わらないよ、というのを双方が暗黙の了解で合意した状態で、それぞれがそれぞれの道を進んでいくんですよね。
でも、人は生きている以上、変わらざるを得ません。
誰もが変わっていくんです。
その中で、それぞれが変わり続けて、転がり続けて、ある時に『やっぱり違う!』と、物別れに終わってしまう。
変わることでそういうことが起こるのは、そんなメカニズムだと思います。

それを防ぐにはどうすれば良いかというと、常に対話を続けることだったりします。
会話なり、電子の遣り取りなりなんでも良いので、常に考えのキャッチボールを続けること。
これがとても大事で。
キャッチボールを続ける中で、相手の考え方が変わったことや、何故そういう風に変わったかの理由が分かったりします。
そこで納得して、同じようにこちらも相手にボールを投げ返す。
そうすると、キャッチボールをしているその二人は、常に変わり続けているのですが、その関係性って変わらないんです。

なので、変わること恐れずに、キャッチボールは続けていくことって、大事だなと思います。
一方的なドッジボールじゃダメです、ゆるーいキャッチボール。


余談ですが、私には「二次元しか信じられない」と本気で考えた時期がありました。
様々なことがあって、人間不信だったんですね。

その時期、その判断をしたことは、悪くはなかったんじゃないかと思います。
ただ、今になって振り返ってみると、その時はまだ私の考えが追いついていなくて、”性格も考えも変わることがない二次元しか許容できなかった”ということなのかなあと、今日この文を打ってみて分かりました。
当時の私は、人が変わる生き物だということが、十分理解できていなかったのかもしれません。

根幹は変わらないといいなと思いつつ、いいほうに変わっていきたいですね。