つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

プロデューサー気質とクリエイター気質

そういった定義を知って、自分の中ですとんと理解が落ちたので、書いてみます。

 

「あの人はプロデューサー向きだ」とか、「あの人はクリエイターだから」みたいなたとえ話って、日常の中でもされたりするじゃないですか。
実際にそういう現場がない仕事の人でも、あの人は監督だからとか、あの人は独創性高くて事務はできないけどセンスはあるとか、そういう例えはあると思います。
あくまでも、それは一つの四方山話で、軽く聞き流していました。

ただ、それと真面目に向き合ってみると、また違った印象になったんですね。

 

プロデューサーって、『色々決定権限を持っていて一番えらい人、監督みたいな人』ってイメージがあるんですけど、これって日本語にすると、監督じゃないらしいんです。制作全体を統括する人、つまり"制作統括"なんですね。

作品を作るにあたって色々工夫をする人なんですけど、プロデューサー自体が何かを具体的に造り上げるわけではないんですよ。
作品を造り上げるために、あらゆる能力や技術を活用して、実現に向けて動く、高いレベルでの調整役だったりするんです。

 これでハッとしたのが、ゲームのプレイヤーが『プロデューサー』と呼ばれるゲーム、アイマスです。
アイマスのプロデューサー(プロデューサー)って、自分では歌わないんですよ。
踊りもしないし、芸脳活動の表舞台に立つことは、一切ありません。
もちろん、当たり前のことです。
プロデューサーができることと言えば、歌を紡いだり、踊りで場を演出することのできるクリエイター(=アイドル)に指示を出して方向性を決めたり、スタッフ(同じくクリエイター)に指示を出して演出の方向性を決めたり。
つまり、0から1を作り出せるクリエイターをいかに輝かせるか、という方向で才能を発揮するんですね。
そうして生み出された1を、10にも100にもしていくのが、プロデューサーなんだなあとわかりました。

私は、本が好きだったし、アイディアを思いつくのが好きだったりして、どちらかというとクリエイターになりたい人でした。
一時期は「ゲームデザイナーになりたい」と言ってましたしね。
ただ、クリエイターにはやはり、”才”が必須で、私には少なくとも、肌感覚で勝負できるような才能はなかったし、今の所は持つことができませんでした。
ゼロからイチは生み出せなかった。

その反面、既にあるものを更に拡大していくということは水があったらしく。
色んな手法を使って元々あるものを少しいいものにしたりだとか、今までなかったものを別分野から輸入してきたりする”水平思考”なんかは、少しですが成果を出せていたりしたんですね。
ゲームクリエイターになりたいと言った後に、奇しくも趣味でゲームの制作、運営みたいなことをやり始めたのですが、この時は既にあるゲームのフォーマットを『改造』『改善』することにやりがいを感じていて、オリジナルではないけれどもオリジナルに2階や3階、よもや地下を造成したりして、それが好きでした。
ゲームを改造している以上、それはクリエイトなのかもしれませんが、何かを1から作ったわけではなく、あくまでも拡大であって想像ではなかったわけです。

私は頑固と言われる反面、再三”キミは何がしたい?”と言う問いを、それこそナナシスと出会うずっと前から何度も何度も色んな人に問われて、ずっと答えられなかった、そんな状態でした。
だから、常に何をやりたいかを模索して。
今でも大目的の『何をしたい』かって、はっきりはしていないんです。

ただ、最近になって、それは明確になっていなくていいんじゃないか、と思いました。
”プロデューサー気質”の概念と、少し対峙してみて、自分はこっちの立ち位置が近くて水が合うような気がした。

プロデューサーは、企画があって、目指す目標があればそれに向かってありとあらゆる手を打ってそこに到達できるように走り回る役割。
だとすれば、そこに至る具体的な目標は、その都度変わってもいいのかも知れないなと。

 

現時点での思っていることなので、時が経てば変わるかもしれません。
というか私の性格からすると変わるだろうな、とも思います。
ただ、現時点で目標が定められない、という茫漠とした不安は少しぬぐえた。
それが一つ大きいことで。
少し、目の前の光が大きくなった気がしました。