「ファンです」と名乗ることが怖いなーと思ったこと、ありませんか。
かつては、『好き』というその感情だけで、ファンだと言えていた気がします。
特に、ニッチな分野では、その趣味を周囲に公開することがリスクだった時代があって。
だから、ファンの中で結束があったというか、それぞれ”派閥”はあれど、ファンであること自体は否定しない、という最低限の共通ルールのようなものはあった気がします。
最近感じるのは、ファン活動も真面目さを求められる様になってきたなーということ。
盛り上げるにしても、一風変わったアプローチはあんまり評価されなかったり。
対象が神格化すると、その人のやることに少し意見を書いたりすると、それだけで煙たく感じられたり。
『ファンである』というのは、本当は楽しい、前向きな状態のはずなのに。
逆に、それで辛く思ってしまったり、息苦しさを感じる様になった気がします。
私も、過去にそう感じたことがあったりしました。
今日見かけたツイートで、そうだよなあと思ったのが、
『好きになったら好きでいいし、何を言われても気にしなくていい。
趣味なんだから、好きになるのも、離れるのも自由』
という考え。
そうですよね。
ここで誤解しないように書いておきたいのが、真面目に考えている人、真摯に応援している人に何か言いたいわけではないということ。
むしろ逆です。
私自身、『正直者が馬鹿を見ちゃいけない』と思っているくらいですし、その姿勢は評価されるべきだと思っています。
ただ、応援の形はひとそれぞれ。
どんな形でもいいんだと思います。
例えば、『一生応援する』という気概を示すのも、一つのかたち。
ただ、『”一生涯かけて応援する”ということが非常に困難な目標である』ということも、私たちはよく知っている。
だから、『その責任が持てないから”一生応援する”とは言わない」という逆の決意も、一つの応援のかたちなんです。
そこに貴賤はないよね。
私の好きなゲームに、「CROSS†CHANNEL」という作品があります。
ストーリーがとても心を動かすもので、発売当時にはとても人気になって、今なお根強い人気があります。
ただ、プレイするのに年齢制限がかかる作品で、少なくとも表立ってみなさんにおすすめできる、というゲームではありませんが(笑)、好きな作品です。
その定義を入れてしまうとこれから書くことが混乱してしまうので、それは置いておくとして。
好きなんですよ。
でも、今、積極的に宣伝したりはしていません。
一番アニメ化してほしい作品なんです。
でも、『CROSS†CHANNELを何が何でもアニメ化しよう!』という宣伝活動をしたり、署名を集めたりはしていません。
でも、いかに素晴らしい作品かは延々と語れます。
さて、私は、この作品が好きではないのでしょうか。
作品のファンじゃないんでしょうか。
『好き』の形は、ひとそれぞれ。
今、アイマスシンデレラガールズの総選挙や「ボイスアイドルオーディション」が行われていて、私の担当する西園寺琴歌は声が付いていません。
だから、この時期は、一票でも琴歌の票が増えたらいいなと思って色々呟いたり、宣伝をしたりしています。
ただ、これも日常的にしているわけではなく、ふと頭の中に感情がよぎったときに触れたりするくらい。
時と場合なんですよね。
表立って応援する感じの時はそう応援する。
そうでないときは、人それぞれのやりかたで好きを体現すればいい。
それでいいんだと思うんです。