つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

帯に短し

なんとかかんとか、4月を泳いできました。

ブログに書きたいことは沢山あるものの、まとめた文章を書くには時間が足りず。
まとまってない、散発的な文章なら書けるのですが、最近は雑に書いていると意図しない形で取り上げられるリスクもありますし、なにしろこのブログのコンセプトが
『140字で書ききれないことを丁寧に書く』
というものだったりするので(もはや有名無実化していますが)、なかなかそのバランスが難しいところです。

 

そう、言葉じりとか、書いてある文字だけを読み取って取り上げられることが多くなったなあと思ったりします。
私の周囲でもそんな現象は見受けられて、『言ってることはそのとおりだけど、一部だけ切り取ってしまっているなあ』と思うこともしばしば。
そこに割って入って、場を穏便にできるだけの能力があればいいのですが、私が入ると更に油が注入されてしまうことが多いので、(がんばえー)と心の中でエールを送っていたりします。

 

これは一概にコロナのせいだけじゃないと思うのですが、文字だけのやり取りってだいぶ増えたじゃないですか。
ただ、日本語って「文脈を読む」という美学めいたものがあって。
それ自体は”空気読めない”に繋がったりするので、一概にいい悪いは言えないのですが。
そこに書かれた文字の事実だけではなく、お互いの間の関係性だったり、雰囲気だったり、そういったものを含めて、コミュニケーションになるじゃないですか。
その辺りが、文字にかなりウェイトを置くような感じになってきて、なおさら直情的に感じられてしまうのかな、と思ったりしています。
特に、Twitter等の”脊髄反射で反応する”メディアはその傾向が強くなるのかなと。

 

私自身も、人のことは言えないんですけど、感情にまかせて言葉を出そうとすると、やっぱり荒っぽくなります。
今の感情をぶつけようとして、きっと相手の否定か、自分の正当化から入ります。
それは短絡的な感情であって、根本的な解決にはならないのに。

なので、最近よく思うのですが、一呼吸置いて、少し冷静に対応することって大事だな、と思っています。
細かいことや、ベクトルの違いで揉めても、それって意味は無くて。

まず大状況として、どんな未来になるのが一番いいのか。
それは、誰にとっての一番の未来なのか。
そこをしっかり考えること。

そして、それを達成するために、自分のポジションではどう動けば良いのか。
それを、自分の独断ではなくて、ある程度客観的な視点でやってみる、ということ。

そして、間違っていたらそれを認めること。
なるほどと思ったら賛同すること。

そのあたりを、ひとつひとつ、穏やかにやっていけば、争いめいたことは、減っていくんじゃないかなあ、と思ったりします。

『おめーが一番できてねーじゃねえか!!』って話ですけどね。

 

そんなこんなで、ダラダラ書いてみました。
こういう文章のほうが、正直楽だったりします(笑)