つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

推し疲れと行き先迷いと応援と

書くテーマで迷ったのでアンケートしてみたら、こちらのほうがわずかに票が集まったので、『推し疲れ』をテーマに書いてみます。

 

発端は、こちらの記事。

www.moneypost.jp

リンク先が消える可能性もあるので概要を書いておきますと、『コロナ禍でイベントの現場がなくなり、推し活動に疲れてしまった』という声を集めた記事です。

この記事を読んでみて思ったんですけど、コロナがなかった時代も、こんな感じで推し疲れすることって、あるんですよ。
要因の一つが環境だというだけで、何もコロナに限った話ではないのです。

私自身、この「推し疲れ」に陥ったことがあります。
特定の個人ではなくコンテンツでしたが、毎月、多い時は毎週”終わらないマラソン”を続けるような感じで、最後は図らずも”自粛”をするような形でマラソンを終えました。
ただ、何が何でもマラソンを走ろうとしていたから疲れたのであって、後にジョギングに切り替えたらあんまり気にならなくなり、今でもゆるーく、そのコンテンツの近くにはいます。

 

コロナの影響で「推し疲れ」をしたか、と聞かれれば答えは”No”ですが、”行き先迷い”みたいな感情は正直あります。
思いはある。
ただ、コロナが流行していなかった時のようなことはできない。
この感情をどうすればいいのか悩み続けて、色々なことで形にしようとして。
今なお、その出口は見つかっていない。
正直、今はそんな感じです。

やっぱり、環境要因って、大きいんですよね。
これまで何らかの理由であまり現地に行けなかった人はあまり変わらないと思うのですが、そうでなければ、今までのようなイベントにたくさん行く、みたいな楽しみ方はできないわけで。
そこに当たり前にあったはずのものが、ない。
これはなかなか堪えます。

コロナの影響を受けた時期は、見えなかったものが見えてきた期間だったとも思います。
見えてよかったものもあれば、逆もあって。
これまで積み上げてきたものが、コロナという大状況の出現によって、前提が崩れてしまったんですよね。
そうなったときに、人はどう振舞うか。
生きるという人間の生活の根幹に戻る人もいる。
逆に人の為になろうと行動する人もいる。
これまで薄氷の上を積み上げてきた自分の役割を、なお演じ切ろうとする人もいる。
演者のそれらの行動を、ファンは過敏にくみ取っていた、と思います。

応援する対象が変わった人は、多かったように思います。
変わらない人は変わらないのだけど、それは何が起こっても変わらないという組み立て方をしているから変わらない、という側面もあって。
誰もが、人やコンテンツとのかかわり方を少しずつ工夫しながら向き合ってきたのではないかな、と思います。

 

今は、まさに行き先に迷っている状況。
この状況で、演者さんは何を目指しているのかな。
そのためにどんな道筋を描いているのかな。
どんな応援が、できるのだろう。

応援って、こんなに大変なことだったんだな、と気づかされます。
だって、ライブだったら大声を上げて叫べばよかった。
イベントでも、内容によっては感謝の気持ちを伝えられたりもした。
お手紙も書いてすぐに渡せた。
まつわるプレゼントを贈って少しの彩りを渡すことができた。
お花を贈って感謝の思いも示すことができた。

できない、いまはそれが。
ない、ない、ない。

鑑賞するだけではなく、そこから何らかの形で、一歩踏み込んでいる人なら。
そこにはきっと、もどかしさがある。
どのような形で消化できるか、その答えはまだ出ていない。
そこに疲れてしまう人がいるのも、当然だと思います。

そんな状況ですから、無理なくできることをやっていくしかないのだと思います。
手探りですけど。
時には何かにぶつかるかもしれないですけど。
自分が”これは譲れない”と思うものは、大事にしながら、好きなものを「好き」と言っていきましょう。
好きという感情だけは、信じていいと思うので。