つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

BLUE BLUESの「しんがり」と”背中合わせ”

雨宮天さんの11thシングル「永遠のAria」、のカップリング曲、『BLUE BLUES』。
この曲は、作詞と作曲も雨宮さん本人が手がけ、ちょっとダサかっこいいブルース(本人談)に仕上がっています。

曲のラストは
「しっかりしんがりよろしく」
という、若干韻も踏まれた特徴的なフレーズで終わっていて、「しんがり」という言葉はファンへの信頼を表しているんだという捉え方もされていました。

ただ、本来のしんがりという言葉、めちゃくちゃ重いんです。

ということで、今日は実際の”しんがり”という言葉の意味について、書いていきたいと思います。

 

しんがり」は、元は戦国時代の戦いなどで用いられた歴史用語で、漢字で書くと『殿』と書きます。
戦う際の役割を示す言葉なのですが、その意味は
”戦から撤退するときに、危険を顧みずに最後尾に陣取り、追撃してくる敵と戦いながら本隊や大将を逃がす”
というものなんです。

命からがら逃げているときに、しんがりの武将に後ろから攻められたら、大将としては元も子もないですよね。
だから、しんがりにはある程度信頼が置ける武将を配置しました。
なので、しんがりの役割が重いというのは、そのとおりです。

ただ、しんがりって、”死”と隣り合わせなんです。
しんがりという役割が生まれるのは、そう、”負け戦”のときだけ
相手は、敵の大将の首を取ろうと血眼で迫ってくる。
しんがりは最後尾にいるので・・・イケイケムードで絶好調の敵と真っ先に対峙するわけです。

こちらは負け戦なので劣勢。
戦力も無い。
そんな状態で、敵の進撃を食い止めて、最後は自分の身を呈してまで本隊を、大将を逃がさなければならなかった。
そんな、”ブルブル”な、辛い役回りでもあります。

このような性質から、とにかく危険な役割とされ、主に武芸に長けた武将や、人として優れた人がその役割を務めました。
史実でも、織田信長朝倉義景と戦って敗北した”金ヶ崎の戦い”で、当時はまだ武将としての功績がなかった豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)がしんがりをつとめて信長を逃がし、自らも生き延びたことから信長に評価され、今日まで謳い継がれる地位を築くきっかけとなった、というのが有名な逸話としてあります。
この戦いは、「金ヶ崎の退き口」とも呼ばれ、日本の撤退戦としても有名な戦いです。
(なお、最近の研究では、このとき秀吉だけがしんがりを務めたわけではないことが分かってきたそうです) 

 

さて、「しんがり」。
なんでも辞書で調べる天ちゃんのことですから、意味やこういった逸話も知ったうえで書いているんじゃないか、と思います。
もしかすると、あんなに強いのにネガティブな天ちゃんのことですから、撤退戦というイメージまで織り込んでいるかもしれません。
このしんがりがファンを表しているかどうかは、まだ明言はなかったと思いますが、そうだと仮定して。

ここでもう一つ、天ちゃんの「Next Dimension」という曲を持ち出してみます。
この曲は、雨宮天の3rdアルバム「Paint it, BLUE」に収録されている曲で、社会の不条理という崖に落とされた”君”を、絶望の淵から引きずり出すビタミン系ソングとなっています。

この曲については以前も少し書きましたし、この曲だけでひとつ文章を書きたいくらいなのですが、ここに雨宮天という声優と、ファンとの関係性が示されているような気がして。

たぶん、普通の演者です、ファンですって関係性じゃないんですよ。
望まれているのは。
どうにもならないときには救うけど、でもその時に両手は出せない。
両手を出したら、自分まで引っ張り込まれてしまう恐れがあるから。
どちらがどちらに依存しすぎてしまっては、共倒れになる。
だから、自分の位置も保ったまま、片手で引っ張り上げる。

それゆえの

僕は僕になる。
僕の夢は僕以外見られない
誰にも任せられない

 

君は君になれ
君の夢は君以外見られない
僕にも ああ 見られない

雨宮天「Next Dimension」)

 なんだと思うんですよね。
『挫けずに誇り高く理想を追ってまた会おう』と。
そのあり方は、言い換えれば『共闘』であり、『背中を預けられる関係性』だな、と思っていました。

 そんでもって、今回の「しんがり」。
しんがりって、大将の背後を守ってるんです。
中合わせで。
それって、まさに”背中を預けられる関係”じゃないですか。

 Next Dimensionの時は、ピンチに陥っているのはこちらで、すくい上げてくれるのが天ちゃんだった。
今回は、その図式は実は逆で、窮地に陥っているのは天ちゃんの側で、しんがりを務めるのがファンだとしたら。

逆だけど、たぶん同じことなんです。

 もしかすると、本当に語感だけで「しんがり」という言葉を使っているかもしれません。
ただ、この「しんがり」という言葉、わりと重いぞと。
そんなお話しでございました。

 

『よろしく』されたしんがり、少しでもマシに務め上げられたらいいなあと思いながら。

 

 

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