つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

続・くだらない唄

前に好きでよく聞いていて、今は聞かなくなってしまったラジオを、聞く機会がありました。
離れてしまった理由は、はっきりとは思い出せません。
きっと、新たな興味の対象が次々と出てきて、優先度が変わってしまったのでしょう。
BPMの高いラジオ(なんだそれ)ばかり聞くようになっていた時期でもあって、ある種ローテンポだったそのラジオから、少しずつ遠ざかってしまったのかな、と思っています。
昔から、そんなことばかりです。

今になって、ふときっかけがあって聞いてみたら、普通に楽しかった。
聞いていない時代に、新たなキラーコーナーも生まれていて、笑いをこらえるのに必死でした。
最近はそんなラジオ、そこまで多くないのに。
ギアがローなのは変わらずでしたが、そのローに磨きがかかっていて不思議と飽きは来ず。
私も、パーソナリティも年を重ねたからかもしれません。

 

そんなことがあって、ふと「続・くだらない唄」を思い出したんですよね。
たまに引き合いに出す、BUMP OF CHICKENの曲です。

この曲は、初めて聞いた当時でも、とても暗い曲という印象で。
実際そういう曲調なこともあって、ついさっきまで、暗い曲だ、と思ってました。

ただ、このブログを書くために詞をよく読んでみたら。
「そうじゃないんじゃないか?」と思ってしまった。

 

この曲には、前段として「くだらない唄」という曲があります。
柔らかく少しノスタルジーを誘う曲調で、”明るい曲”という印象を持たれているかもしれません。
この曲も歌詞を深堀りすると、希望だけではないというのが読めたりもするのですが、それはまた別の話。

そんな希望いっぱいの曲に対して、夢破れて失意の中にいるときの曲が、この「続・くだらない唄」です。
主人公は、世の中とかいろんなものに打ちひしがれた『僕』で。
手からいろんなものをボロボロ落とした僕が、それを拾えるかな、という歌になっています。

「続・くだらない唄」の最後は、こう結ばれています。

この手が 今まで 落としたモノは拾えるかな
この眼が 今でも ギリギリで見えていて良かった
あの日と違うのはヒゲの生えた顔ぐらいさ 

失意の中にいると思った曲。
絶望の中に少しの希望があったのかな、くらいの感覚だった曲が。
最後のワンフレーズ。
ここの真の意味に気付いた。

『前と変わったのは、手入れしなかったヒゲぐらいで、何にも変わってねえよ』と。

 

ハッとしたんですよね。
好きなものをずっとつかみ続けていることは、きっとできない。
両手でつかめる限界はどうしてもあって、タイミングで手放さなければならないことだってある。
ただ、それは無責任なのか?捨てたのか?
たぶん、そうじゃないんです。
きっとその種は、ちゃんと心の中に仕舞われていて。
バイオリズムが合えば、戻ることもできるんだと思うのです。

だって、能動的に嫌いになったわけじゃないんでしょ?
だったら、ブランクとかどうでもいい。
今好きなもの、今関心がある思いを、抑圧するひつようはないはずなんです。

 

一度手から落としてしまったものや、手を放してしまったものに、ふたたび触れるということは、わりと好ましくないことみたいな感じで思われてる雰囲気を感じることもあります。
ただ、そこに邪な気持ちがあるわけでもなく、心からそこに戻れるのであれば、戻れるるのかもしれないなと思いました。

人間、そんなに完璧じゃねえっすよ。
完璧と言われている人でも見せ方が上手いだけでそうでなかったりする。

だから、いいのかなと。

 

ただ『昔聞いていたラジオから離れてしまったけど今になって聞いたら楽しかった』という、それだけの話なんですけどね。
何でも大仰にしたがるのが”、ぼくの悪いクセ”です。

 

 

バンプの「くだらない唄」「続・くだらない唄」は味のあるいい曲なのでぜひ聞いてみてください。
アルバム単位で聞くともっと深みを味わえるかもしれません。