つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

「STANDING ALIVE」を読み解く

ちょうどミリオン7thのアーカイブを見まくっているので、その関連で書きたくなって。

STANDING ALIVEという曲は、ミリオンの「好きな曲」の中でも、『取り立てて好き』に入ってくる曲の一つだと思っています。
(実際には見ていないのに)見てきたように語る節があって恐縮なのですが、私は3rdライブの仙台公演でのSTANDING ALIVEがとても好きで。
あとで『一挙放送』で見たんですけどね。
歌唱ユニット「ARRIVE」のコアメンバーである篠宮可憐役の近藤唯さんの歌声と、北沢志保役の天ちゃん、雨宮天さんの歌声の相性がとてもよくて。
二人とも透明感がある歌声なのが理由なんだと思うんですけど、本当にその組み合わせが至高、と言えるほど好きでした。

今回の7thでも、その二人が入った形で歌唱されたのはとてもうれしかったです。

 

今日取り上げたいのは、その歌詞で。
ミリオンの歌詞なんか、大体が『歌詞が天才』と言えてしまうのですけれども。

違う場所でたった一人で、誰の手も及ばないけど
なぜかいつだって独りだなんて思わなかったよ
どうしてだろう?その理由は瞳が知ってた

この部分はかつて引用したこともあるくらい好きな歌詞です。
そして。 

誰だって...それぞれの場所...立っているから
誰だって...譲れない思い...信じているから
支えあうことなんて出来ないけど
互いの存在をただ誇らしく見つめあえれば...辿り着けるんだ

この曲、よくよく考えてみると、すごいんですよ。
『支えあうことができない』って、言ってる。 
支えあおうとか、困っているときは助けに行くよとか、そういう歌は多いんですよ。
人と人とは分かり合えないけど支えあっていこうみたいな、あってもそのくらいなんですよ。
この曲は、それすら、否定している。
それは、根底に『人は自分の足で一歩前に踏み出さなければ、何もできない』という考え方があるんじゃないか、と思うのです。

 

私は、人が進むことと応援することについては、Suaraさんの「トモシビ」がドンピシャだと言い続けていて。

不​安定な心に未来を明るく
照らせるのはきっと 自分でしかない

もしもトモシビが くすぶって
夢や自分さえ 見失うときには
誰かが信じていてくれる僕を 信じてみよう

 言い方は柔らかですけれども、とどのつまり、人は一人でしか前に進んでいけないんですよね。
誰かが助けてくれるわけではない。
もし助けてくれたのだとしたら、その前に、自分がSOS信号を発していたんです、きっと。

 

『STANDING ALIVE』の歌詞は、それよりもっと、ある意味ドライです。
助ける、支える、信じる、応援する。
そんな要素さえ取り払ってしまった。
それを取り去ってなお存在する、尊敬、理解、認める。
そういった思いを、『瞳で見つめあう』ということに凝縮してしまった。

 

これは本当に、すごいことだな、と思いました。

 

 

もちろん、救ってくれる歌も大好きですけれども。
『救う』ということが、ある種偽善に感じてしまうことももちろんあって。
そうなったとき、信じられるのは自分自身だけになってしまう。
そこで、存在を認めてくれたり、”他の人の「信じる」”が信じられなくなったときに『他の人から信じられている状態の自分自身を信じよう』と言える素敵な考え方は、少しひねくれているのかもしれないけれども、”ほんとう”に近い感じがして、好きです。