つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

初心にバック・トゥ・ザ・フューチャー

私が声優という職業…肩書の人に興味を持ったのは、『ラジオ』でした。

オタク文化には慣れ親しんでいましたが、アニメをよく見るようになったのは「Angel Beats!!」以降で。
”作品は作品”、というスタンスだったので、誰が演じているのかを考えながら見たりはしていませんでした。

声優さんの音楽活動に触れることもありましたが、音楽についてはわりとフラットな見方をしていたようで、今で言う「声優アーティスト」といったスタンスの人も、「アニメの世界観の中で音楽をしている」人やユニットも、J-POPや洋楽と同じ、"アーティスト"だ、という見方でした。

今回は、地上波のラジオや、インターネットラジオ、それから動画トーク番組(”見えるラジオ”)も含めて『ラジオ』と定義させてもらうんですけど、「声優さんのラジオを見よう!」と思って見始めたわけでは、ないんですよね。
おそらく、日常に疲れて、”癒し”として聞き始めた部分が大きかったと思います。

もちろん、誰かを応援しようという感じではなかった。
逆に、こちらが救いを求めていたのだと思う。

ラジオを聞いて、内容は何気ないことなんだけれども、それが逆に救われて。
じゃあラジオで紹介されていたものを少し見てみようとか、アニメ見てみよう、曲を聞いてみようとなって。
等身大の話を聞くごとに、その人の人となりがわかってきて、声でもお芝居でも音楽でもない、その人自身に興味を持つようになった。
そんな感じでした。

 

そんな入り口から入った私も、声優さんの領域に触れることが増えていき、いつの間にかイベントに行き、ラジオにメールを送り、ファン活動のようなこともしたりと、ファンでいる期間はだいぶ長くなりました。
関わる領域も、だいぶ広く深くなっていったな、と思います。
「どうすればいいのかな」と考えたり、「よりよいファン活動って何だろう」と思いながら、おそらく、”真摯なファンでいよう”という意識が、どこかでで出来上がっていたような、そんな気もします。

 

「ファンって何だろう」って、何年も考え続けていて。

 

例えば、仕事がとても忙しくて。
あんまり余暇の時間も取れなくて。
でも、一週間に1回30分のアニメを見たり、通勤時間にラジオを聴くことはできたりして。
メールを書く時間はなくても、週に1回のその人のラジオがとても楽しみで。
その人がたまにリリースするCDも楽しみに待って、買って、聞いて。
その人が何かの分野で活躍するのをうれしく思えて。
普段は休みが合わないけど、たまたま行けるイベントがあって、それに参加して、幸せな感情に包まれて、その人をますます好きになって。
忙しい日々だけど、その人のおかげで頑張れているし、その人が好き。

そんな感じの人が、いたとして。

すべての出演作や、出演する番組をみれているわけではないと思います。
CDを、20枚も30枚も買っているわけではないでしょう。
その人のイベントに行く機会は、限りなく少ないかもしれない。

うまく説明できないんですけど、この人、なんだかいいファンだなあ、と、私は思うんですよね。

 

声優さんにとって、「自分の活動が、誰かの生活の一部になっていることがうれしい」という話を聞いたことがあります。
それも、一人や二人ではなく、複数の方が、こういう感覚を話してくれていて。

さっきの人の中で、”好きなその人の存在”って、生きる中でとても大きな意味になっていて、役割を占めているんだと思うんですよね。
いいファンだなあ・・・と思ったのって、その感覚もあるのかもしれません。

 


何事もそうですけど、よりよい方向を目指そうしたり、深いところまで潜ろうとすると、自分自身がエリート化してきて、自分や周りに求めるものがより大きくなってきたり、周りが見えなくなってしまいがちだったりします。
何か暴走してしまうことって、そういったことが理由だったりして。
”基本に立ち返れ”とは言いますけれども、それって大事なんだなあと、改めて思いました。

経験を積み重ねてきた人にとっては、自分の歩いてきた道がありますから、それが評価されないような気がしてしまったりも、あるかもしれないですけど。
どういった形の”好き”でも、ファンであることに変わりはなくて。
そこに、貴賤はないんですよね。

 


そんなはずじゃなかった、と思ったり、なんだか最近、楽しいことをしているはずなのに楽しく感じなくなったなあと思ったときは、初心に帰ってみるのも、いいんじゃないかと思います。
今までの歴史を否定するんじゃなくて、”バック・トゥ・ザ・フューチャー”するんです。
未来をよりよくするために、過去を、始まりを”見に行く”。

 

 

ちなみに、先ほど引用した有名な映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
主人公たちは、1985年を起点に、デロリアンという改造車に乗って過去に未来にタイムトラベルするのですが、必ず1985年に帰ってきます。

ある解釈によると、単に「未来」と言うのであれば、 ア・フューチャー なんだそうです。

ザ・フューチャーというのは、「決まった未来」・・・つまり、1985年のことなんです。

 

 

初心を見に行って、決まった未来=《今》に戻って。
そしたら、何か、目の前に見える景色が、変わっているかもしれません。