つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

何がトップランナーなのか

ファン界隈で、トップランナーとか、最前線と呼ばれる人や集団がいます。
ガチ恋とか、特定の人を指して『TO』とか。
それは、理由もなく呼ばれているわけではなく。
圧倒的なパフォーマンスだったり、目立つ行動をしていたり、そのふるまいが称賛されていたり。
何かしらの理由があって、そう定義する雰囲気が自ずと出来上がってきている、そんな気がします。


かつて、”現地至上主義”というような時代がありました。
私が触れてきた界隈は、特にその色が濃かったかもしれません。
その人のいるイベントがあれば全通するとか。
グッズをたくさん買って、特典会をグルグル周回するとか。
評価はそれぞれですが、そういった人は「強いオタク」と呼ばれていました。
そういった行動を継続するには、いろんな面で強いられる部分があって、消耗していく人も多かったです。

それが大きく変わったのは、やはりコロナ。
それまでの「強いオタク」と、それからの「強いオタク」は、丸ごとではありませんが、結構入れ替わったような気がします。

 

そもそも、コロナ前って、現地で何かしたり、目に見えて現場で動くことがすごさだと見られていました。
なので、アグレッシブに外に出てる人であれば、割とそちら側に近づけたんですよね。
よく、ビジネスでも「足を使った営業」みたいな話はあって、外回りをガンガンやってしっごとをバンバンとってくる人が評価されたりします。
それと同じで、人と会って、面と向かって交渉して、何かを成し遂げることができるのって、とても強いスキルなんです。

ただ、それができなくなって。
コロナの直後に特に話題になったのは、メールをいつも読まれる”常連さん”。
メール読まれるか否か論争は、コロナ前にも正直ありましたが、最近はそれがさらに加速しているような印象があります。

あとは、その人がかかわるありとあらゆるコンテンツを常に追うのがファンだとか。
デジタルが中心になって、ネットやゲーム、場合によってはテレビなど、広げようとすれば無尽蔵に広がって、全部見ていたらおそらく仕事もできないのでは、という領域になりつつあります。
現地に行くことや、表立った行動が見えづらく、また動いたことが批判されるリスクもある状態になって。
自分へのリスクは少ないながらも、相手や周りに評価される、そんなスタイルが”強い”と言われるようになってきました。


で、強いって何だ、と。
トップランナーって何だ、と。

よく、トップランナーは『ファンの鑑』と言われたりします。
その対象に対して熱量を込めているのは間違いなくて、そのすごさはあると思います。
現実、ネット問わず常に「そこにいると」いう安定感もあると思います。
ただ、私が”いいな”と思っているスタイルは、抑えるところは抑えて、言うべきところは角が立たないように、しかし重い言葉を言うことができる、温厚で、どっしりした人なんですよね。

トップを走っている人は、消耗します。
例えば、サッカーのフォワード。
1試合のうちで、最後までスタミナを切らさずに攻め続けられるFWは、なかなかいないでしょう。
ラソンで先頭をひた走っている選手も、同じ感じかもしれません。
ひた走れればいいんです。
性格的に走れるというのであれば、止めはしません。
でも、消耗してしまったら、元も子もない。

 

私たちは、人と人との関係性の中から、序列をつけたり、自分の立ち位置などを考えたりします。
それは、社会的な動物として、間違っていることではなく、当然のことなのですが。
ビジネスなり、学校なり、社会の場でも消耗しがちな私たちなので。
趣味の場くらいは、そのあたりはあまり考えなくていい、と思っています。
私がよく口にする”ファンに貴賤はない”も、そういうことです。

 

そもそも、応援の仕方は人それぞれで、人と全く同じことなんてやれっこないのですから、その時点で誰もがトップランナーなんですよ。
細かいことを気にせず、心のままに推しましょう。