つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

大袈裟ながら”死ぬまでにやりたいこと”を考えた話

月曜日に、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を受けました。

 

『30代男性が2人死亡、ワクチン接種の3日後に』

そんなニュースが日本列島を駆け巡ったのが、つい先日のこと。
それについて、細かいことを言及するつもりはないのですが。

  • バリバリの30代
  • モデルナ

この2つが合致している身としては、正直冷や汗が出ました。
それが例えかなり確率が低かったとしても、当たってしまったら確率なんか意味がなくなってしまうわけで。
万が一そうなる可能性もあるかもしれないなあ。
そうなった場合、周りの人は大丈夫かなあ。
今動いているお花企画は責任が果たせないのかなあ。
仕事はどうなるんだろうなあ。
そんなことを頭の片隅に浮かべながらの接種になりました。

自分の場合、高熱が出るタイプの副反応ではなく、後頭部から背中などの後半身が熱を持ち、関節痛なのかリンパ痛なのかわからないような痛みが延々と続くタイプの副反応でした。
耐えられる人なら耐えられるのかもしれませんが、私の場合は『あと何日かこれが続いたら耐えられないかもしれないな』という感じの、じんわりとした煉獄でした。


この期間、色々考えさせられました。
まだ遠いと思っていた、『死』という概念も。

とはいっても、マイナスなことばかりではなく。
「死ぬまでに何をやりたいか」とか、「死ぬまでに何ができるか」とか、見方によっては前向きなことばかりが出てきたんですよね。
ずっと動けなかった反動からかもしれないですけど。

人はいつか死にます。
これは必ず死にます。
で、いつ死ぬかはわかりません。
私たちは、同じように生きている周りや、先人のことを見ながら、自分はこのくらいまで生きるんだろうなとか、このくらいの歳になったらこれをやろうかな、とか、漠然としたライフスタイルを考えていると思います。
ただ、それもある意味での”モデルケース”であって、自分がそうなるかって、別問題なんですよね。
そう考えたとき、「死ぬまでに何をやりたいか」という切り口って、ものすごく自分に正直なんですよ。
確実に、命がもう少ししかないって時にやりたい行動が浮き彫りになる。

あまりいいアプローチではないのかもしれないんですけれども。
”やりたいことはなんでもやろう”という状態に、今はなっています。

後悔はしてもいいが、生きてるうちしかできない。


ということで、何とか体調も戻ったみたいです。
当面は、色々なリスクと向き合いながらの疾走にはなると思いますが、もちろん全力疾走で。
やりたいことをガンガンやっていきたいなと思います。