つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

”スキ”の箱と”キライ”の箱

好きな概念を入れる”スキ”の箱と、嫌いな概念を入れる”キライ”の箱。
現実には存在しない箱ですけど、あると仮定して。

”キライ”の箱って、割と気軽に嫌いなものを入れられる気がするんです。
じゃあ、”スキ”の箱に好きなものをポイポイ入れられるかというと、個人的にはそうできないな、という感じがして。

何かを”スキ”と宣言するのって、割と大きな決断だったりします。
自分のスタンスを示すことになるし、それを撤回するときにはさらに大きな勇気がいる。
端から見て、明らかにその対象が『好き』なのに、何かと理由をつけて認めなかったり、好きの理由を探し続けていたり。
「もう好きと言っちゃえよ」じゃないんですけど、それだけ明確でも、たぶんその人は、”スキ”の箱に入れられないんだと思います。

”スキ”の箱と”キライ”の箱の間には、もちろん
『好きなんだか嫌いなんだかはっきりしない』
ゾーンがあって。
その間にあるうちは、定義を、レッテルを、張り替えられるんですね。

 

少し分野が変わりますが、こんな話があります。
「”なんとか遺産”って、いかにも価値の高いもののように感じられるけど、博物館の中に入った時点で”遺産”になるから、その価値はそこで止まってしまうんだよ」と。
この考えにはいろいろな見方があると思いますが、なるほどと思う部分も確かにあって。

箱に入ったら、そこでストップしてしまうんですよね。
”キライ”の箱に入ったものは、よっぽどのことが起こらなければ嫌いのまま。
「臭い物に蓋をする」という言い方があるように、そうすれば見なくて、意識しなくて済むんですもの。
キライと呈することによって、自分の思考回路をシンプルにしているんです。

反対の、”スキ”の箱はどうでしょうか。
もしかすると、これも箱に入れた時点で、好きの形が止まってしまうのかもしれないな、と思いました。

私にも、何度も苦い思い出があります。
何かを好きであることを表明したことで、「これは好きなもの」というレッテルを張り、その時の自分の感情を考えずに常に好きなもの、好きなことと言い続ける状態になってしまったんですね。
どうなったか。
好きの形が止まったものに、何かを足すのは難しい。
しかし、引き算は楽にできる。
好きで固定化したはずのものが、ボロボロと嫌いに落ちていく。
そんな経験が、確かにありました。

前にも書きましたけど、好きって、単純な感情じゃないじゃないですか。
好きの中にもいろいろあって、そこにはきっと、愛憎が渦巻いている。
好きの感情も常に更新され続けて、右に左に揺れ続ける。
それが変わり続けるからこそ好きが継続して、長年好きでい続ける。
ただ、それで「なんで好きなの?」と聞かれたときに、明確には答えられない。

でも。
きっと、その状態が、何かを好きになることの、醍醐味なんだと思うんですよね。

”スキ”の箱になかなか物を入れられないのって、そういうことなんじゃないかって。

 

"スキ”の箱の取り扱いは、厄介です。
私の場合も、何度も
「”スキ”の箱に入れるのが正しい」と思ってそうし、
「”スキ”の箱に入れるといい結果にはならない」と思ってやめる。
そんなサイクルを繰り返しています。

だから、どれが正しいとかは、わからない。
色々扱いを変えてしまうとダメージがあるのであれば、固定化させたほうがいいかもしれない。

今の心の揺れ動きとの兼ね合いになるとは思うんですけどね。
今の私は、心の動きにわりと正直でいられているので、”スキ”の箱をあまり使わずに、スキを更新し続けてくのがあっているな、と思っています。