「もっと上を目指したい」
ファンしかいない空間で、彼女はそう云った。
その3か月後、彼女は結婚した。
早熟型だった、のだと思う。
デビューから数年、少なくない作品でメインに食い込んだ彼女は、名前が載ることがだんだん減っていった。
私が彼女のファンになったのは、そんなタイミングだった。
その後、彼女が主戦場とする場所でメインキャストに名を連ねたことは、続き物以外ではほとんど無かった。
大きなコンテンツに抜擢はされた。
メインのメインではないが、主要なキャラクターである。
基本スペックは高い彼女だが、なまじ頭が回る分考えこみ、ゆえに不器用だった。
しかし、それを努力で、文句のつけようがない形でものにした。
彼女は負けず嫌いで、努力の鬼でもあった。
”ご報告”。
この事象にかかる感情は、思ったよりも複雑である。
一言ではとうてい片付けられない。
私にとっては、
「好きになった人が結婚してしまった。
相手がいるのを隠してファンに向きあっていたのか、許せない」
という感情ではなかった。
「これからもっともっと上を目指していきたいと言ったのに、なぜ」
期待して、応援したことに対しての、裏切られたような、ある種の怒りであった。
そもそも、兆候はあった。
「結婚するなら、年齢のこともあるし早めに」と思っていたぐらいである。
しかし、彼女は常に「もっと上を目指す」と言い続けた。
まだ考えていないんだな、仕事に全力を注ぐんだな。
そう思っていた矢先の、霹靂であった。
それから半年間、彼女にかかわる情報は一切目に入れられなかった。
しかし、人を動かすのはやはりパフォーマンスである。
彼女が出演するステージに行かざるを得ない場面に出くわした。
どんな顔をしてステージを見ればいいのか。
悩み、一度は行くのをやめようともした。
そのコンテンツで、のちに”伝説”となる、珠玉のステージだった。
彼女は、たった一人、注目を浴びる場面で、与えられた役割を見事に果たした。
目つきも、表情も、スタンスも変わっていなかった。
半年のわだかまりが瓦解した。
私は、彼女の何も背負わない”素”の歌が好きだった。
披露される機会は少なかった。
飾らない、見栄も張らない。
演者としてはどうか、という表現かもしれないが、逆にそれが新鮮だった。
熱くもなく、冷たくもない、自分の熱量で伝える。
そんな素の歌声が、好きだった。
あるときを境に、彼女の関わっているコンテンツが、次々と終わりを迎えていった。
彼女を知るきっかけだったものも、終わった。
理由はわからないが、仕事も増えず、イベントにも出なくなった。
露出が減った。
自ら発信する媒体を持ってはいたが、筆不精でもある彼女は、なかなか発信することがなかった。
ただ一つ残ったコンテンツは、元から内容が合わず、避けていたものであった。
ある時期から、仕事の話がほぼなくなり、生活の話だけになった。
それは、家庭生活を思わせるようなものが主だった。
上を目指していた彼女は、どこに行ってしまったのだろうと感じた。
現実が、数年のタイムラグを経て、ボディブローのように襲ってきた。
彼女は、既婚者である。
「ファンだった」というレッテルは、厄介である。
そうでなくなった時点で、全てをまっさらに忘れてゼロからスタートできるのであれば、まだいい。
ただ、短いかもしれないが、同じ時間を、歩んできてしまっている。
だから、ゼロにはできない。
声は一瞬で判別がつく。
考え方も大枠でわかる。
こんな時どういう表情をするかも、何となくわかる。
知っているのである。
知りすぎているのである。
ファンでなかった時間には、戻れない。
戻れたとしても、それはともに歩んできた自分の否定になる。
そして、白紙にしたら、きっと同じことを繰り返す。
難儀。
今年は久しぶりに、彼女に流れがきている。
それは、私が望んだ形とは違ったけれども、また別のファンを増やして、今の仕事を長く続けていける光にはなっていると思う。
上を目指し続けているということはわかった。
負けず嫌いは変わらないものだ。
決して、褒められたファンではなかった。
凡人なのだから、影響なんて与えられるわけがない身だった。
それでも、今につながる多くのきっかけをくれたのは、確かなことである。
ありがとうございました。
そして、私がそこに戻ることは、ないけれども。
どうか、前向きに。