つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

無駄なこととシンデレラストーリー

無駄なことってないなあ、と最近はよく思います。

子どもの頃は、たぶん途中までは『よくできた子』だったんだと思うんです。
ただ、途中からは全然そうじゃなくて、『何をやってもダメな子』になって。
色々な趣味をよりどころにして、好きなことしか追い求めなかったけれども、なんとか存在はして。
なにくそと一念発起はしたけど、その後もパッとしなくて。

うまくいかなかった時期は、私の場合相当長いんですけども、今振り返ってみると、その時間も、無駄にはなってないなあと思ったりするわけです。
モラトリアムの時期に、「勉強嫌だー」と思って遊びのほうに流れていった中で経験したことが仕事に生きてきたり。
学生時代に勘違いから学ぶことになって、結果意味なかったじゃん!ということが、今では働く上での自分のベースになっていたり。

 

種をまいて、芽が出て花が咲くまでって、時間がかかるんですよね。
私たちは色々な『シンデレラストーリー』を見てきているから、才能がある人は一気に花が咲いてスターダムを駆け上がっていったり、すごい存在になっていったりする”イメージ”があるんですけど、それって、ほんの一握りで。

例えば、野球選手って入団してから一気に活躍するイメージがありますけど、あのイチローだって、活躍したのは3年目からなんです。
ノムさんこと故・野村克也監督も活躍は3年目から。
いきなり活躍する人も、実は入団前に、大学野球や社会人で野球をやる中で、しっかり下積みを積んで実績を残して入ってきている。
だからいきなり活躍している”ように見える”んですね。

声優さんもそうで、いきなりぽっと出みたいな人が大活躍しているように見えますが、そこまでの歴史を見てみると、長かれ短かれ、下積みを積んでいることが非常に多いです。

若くても、さらに若い時から働き始めていたりして。
下手すると私と同じくらいの”社会人歴”を持っている若手の声優さん、結構います。
いきなり現場に放り込まれてしまった場合も、スキルは足りていませんから、現場でたたき上げられて育っていく。
それは、力不足を感じながらのある意味での下積みともいえそうです。

このあたりわかりやすい職業ですが、他の仕事とかもたぶん同じで。
才能があるとは言えない私のような存在は、なおさら芽が出るまで時間がかかるわけです。

数年越しに芽が出ることなんて、ざらにあります。
今、10年前に冗談で言っていたようなことが、もしかするとできるかもしれないという、本当に小さな光ですが、光が見えたりもしています。

シンデレラストーリーには、理由がある。
ちゃんとそこに下積みがあって。
いいタイミングで、「えいやっ」と一歩踏み出して。
きっと今も誰かが、シンデレラになっている。

 

ごちゃごちゃ書いてしまいましたが。
下積みの大事さと(昨日も書きましたね)、
『続ける』ということ(HIKAKINの話で書きました)、
そしてゼロかイチかで飛び出せる勇気(ちょくちょく書いてます)。
こういったことが大事だなあと。

 

かつて、「お前くらいの強さ(メンタル的なものなんだと思います)がないとその理論は成り立たないよ」と言われたりもしたのですが。
私なんか、メンタルはクソザコナメクジですよ。
よわよわのよわです。
だから、弱いことを知ったうえで、色々対策をしたり、弱らないように気を付けたりして、カバーしています。
それがもしかすると、強いと見えるのかもしれません。
ということであれば、メンタルの強さは、作れます。

 

今からだって、積み重ねることはできる。
何かに踏み出すことができる。
始めるのにきっと遅いはない(HOME MADE 家族「少年ハート」)。


無駄なんて、ないっすよ。
さあ、進みましょう。