つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

声優さんのおかげで電話に出れるようになった話

あれはもう、何年前のことになるでしょうか。
仕事に就くための努力しかしておらず、他のことがからっきしだった私は、その時点で『コミュニケーション』という能力値が0でした。
人絡みの仕事は何をやってもからっきし。
その中でも、とても苦手としていたのが、『電話対応』でした。

受けるのも苦手、かけるのも苦手。
あまりにも自分に自信がなさ過ぎて、
「自分のごときが人とやり取りしていいのだろうか」
と思うくらい、暗闇のトンネルに入っていたと思います。

そのとき、何のアドバイスかわかりませんが、
「誰かの物まねをすれば、早口言葉が言える」
という話を知りました。
実際にやって見ると、確かにそうで。
自信のなさから、あれだけ喋れなかったのが、誰かになりきると普通に言える。

そこで思ったんですよね。
「これ、自分が声優さんになったつもりで話せば、電話でも喋れるんじゃないか?」
と。

 

勝手に白羽の矢が立てられたのは、柿原徹也さんでした。
明確な理由はわかりません。
もちろん、声も似ていないと思う。
ただ、当時は「リリカルなのは」が勢いがあって、その流暢なしゃべりが頭にあったのかなと、おぼろげには思います。

本当におこがましいのですが、私はそれから
柿原徹也になったつもりで電話に出る」
ということを繰り返しました。
明らかにおこがましいこと。
でも、そうして出た電話では、びくびくしなくても話せるようになりました。

いつの間にか、電話対応が苦にならなくなっていました。
今では、柿原さんを意識して電話に出るということはしていません。
それどころか、軽率に電話をかけすぎて、「考えてから電話せい」と言われることもしばしばです。

ただ、今でもたまに、
「あ、柿原徹也(を意識しないと)」
と思ったりすることも、たまにあります。

 

物語、音楽、それから声優さんも。
この人生を、不器用にしか生きてこれなかった私は、本当に色々な人や作品に支えられて、ここまできました。
今回書いたことも、たぶん克服できていなかったら、私は仕事を続けられなかったかもしれない。
それは、とても幸運なことだと思っています。

 

直接なにかあったわけではなく、ご本人にとっては完全な流れ弾被弾ではあるのですが、その道しるべになってくれた柿原さんには感謝だなあ、と思った今日この頃でした。