つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

成長か努力か

ある職場では重宝されてとても評価されている人が、別の職場では”使えない奴”扱いされたりすることがままあります。
時間が少し経過して、その場所での仕事にコミットできるようになると、そのさまを『成長した』と評する人がいたりします。

これって、成長なのかなと考えてみたのですが、それ自体に成長という要素はあまりないんじゃないか、と思ったりも。

移った先で専門的な技術が必要で、その技術を学ぶために頑張った、という場合は成長と言えるのかもしれません。
ただ、こういうケースって、往々にして『慣れていない』ってことなんじゃないかと思って。

 

人って、慣れというスキルが大きいって、一時期から言われるようになりましたよね。
ちょうど”KY(空気読めない)”みたいなワードが流行した、2000年の中頃だったと思います。
その人は、元々能力を持っている。
ただ、環境に馴染めていなくて、真価を発揮できなかった。
なんか、そういう考え方のほうが、いいというか、しっくりくるんです。

そこには、努力はあったのかもしれない。
ただ、私たちは決してスーパーマンになれるわけではないので。
その人の100あった能力が、200や300、400に増長していくわけではないんですよね。

基本的なスキルは、たぶん80から120までに収まるくらいの話で。
それから大きく離れると、自分自身が保てないかもしれない。

 

根性論はだんだん少なくなってきているものの、いまだに無理なことが評価される時代ではあります。
そこに美徳は確かにあるのだけれど、そのために致命的な犠牲を払わなければならないことも、往々にしてあるわけで。
そのあたりは、冷静見ながら、自分の努力の仕方を考えていったほうが、トータルとしていいんじゃないか。
そう思ったりしました。