つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

なやみとおしごと

推し事って、悩みの連続だったりしますよね。
悩んでいる人を見ない日は、ないなあと思ったりします。

一定以上の距離を取っていれば、心をすり減らすこともないんですけど、その光はあまりに眩すぎて、同時に魅力が大きすぎて。
気付いたら近づきすぎていて、あぶねえあぶねえと思って少し距離を取る。
そんな状態の繰り返しです。

推しの動向や行動で一喜一憂したり、ありもしなかったり見えないはずのことをあれこれ考えて勝手に悩みこんでしまったり。
真剣と表現するのが適切かはわかりませんが、その人のことを本当にまじめに考えて、将来的なことまで考えている人は、そういう状態が多い気がします。

かといって、すべてを肯定するタイプの人なら消耗しないのかというと・・・
そう簡単な話ではないのです。
そういうタイプの人でも、ものすごく悩んでいたりする。

特に、今の声優界って、圧倒的なカリスマがいて、それを崇拝するタイプの関係性ってほとんどなくて。
ほぼ全員が、新人のところから成長していく、その過程を応援する、そういう形だと思うんですよね。
そして、若手の中でトップに行ったとしても、その上にはめちゃくちゃレジェンド級の人が本当に際限なく待ち構えていて、果てがない。
だから、常に成長を求められるし、限界がない。
それが今の推し事の特徴的なところだと思います。

ゴールがないということは、目標をどこに置いたらいいかがわかりにくいということでもあります。
まさにそのステージに立っている人はもちろん、応援する側としてもそこは難しい。
だから、悩みの連続なんでしょうね。

 

あまり悩まないようにする方法がないわけではありません。
ただ、それはもしかすると、きれいごとかもしれない。
そもそも”味気ない”。

だから、悩みが多いかもしれないけれども、私たちは悩みながらお仕事をするんじゃないか、そう思ったりしています。

綺麗事は軋轢を呼びにくいし、正論は正しいです。
でも、それは”繕われた”ことであって、”正しいだけ”だったりもするんですよね。
人は、そんなに割り切れる存在じゃないですから。

 

ここのところ、声優界隈だけでもいろんなことがあって、少しずつ心を痛めて。
そんな人も、少なくないと思います。
「わかってる」とは言えません、それは無責任なので。
ただ、
「同じようなこと、経験してますよ。悩みますよね。」
とか
「あまり根詰めないように」
ということは、言えるかもしれません。

 

まあ、そんな感じでー。