つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ミライノジブン

自分が目指すところは、どこなのだろう。

 

叶いっこないことを夢見ている人を見ると、それをあざ笑う雰囲気があります。
できもしないことを目標にしても、たしなめられることがあります。

それは、わりと普通のこと。
リスクを取らないことがベターな選択肢というのは、決して間違いではありません。

ただ、これまで見てきた様々な人の中で、そんな夢物語を言って実現している人が、結構いたりします。
ときに馬鹿にされながら、笑われながら、できそうにないことを成し遂げてしまう。

目標を宣言することで、それを”現実”の土俵に上げた。
そして、それを成し遂げるために、やみくもではなく、きちんとプランを作って、それを実行した。

それができたからこそ、叶いっこない夢に届く、そういう人がいるんだろうなと思います。

 

どうしても、働いている人はそれが中心になって、日ごろの活動はどうしてもそれで精いっぱいになってしまう。
また、趣味の活動も”誰かに自分の夢や思いを託す”ような形になっていて、自分が旗頭に立って何かを成し遂げることにはなっていない。
そんな感じの人は、少なくないんじゃないかと思う。
”自分がどう生きていけばいいか”という柱を、なかなか持ちにくいんですよね。

私も、そうでない形でいたいと思いながらも、たぶん同じです。

 

働いていても、勤め先が自分のために何かしてくれることはほぼほぼないですし、誰かに思いを託すことも、ドライな見方ですが永続的なものではない。
ボールは、自分の手に持っておく。
それが大事なのかもしれないですね。

 

もちろん、生き方に正解はなくて、誰かに操舵を委ねる生き方ももちろんその一つなんですけれども。
羅針盤がもし失われることがあったとき、失われた操舵とともに水底に沈むのではなく、自分の足で歩くことが求められる。
そんな気がしています。

 

私事にすると、未来のビジョンはぼんやりとしか見えません。
そうにしか見えないのは今に始まったことではありません、ずっと子どもの頃からそうだった。
ただ、ひとつ柱になっていることは、たぶん自分本位なんですよ。
ボールはずっと自分で握っておけ。
誰に言われたかわからないけど、それは頭にあるんです。
だから、”そうでない形でいたい”という漠然とした危機感がある。

 

僕はどこまでいけるかな。

そんなことを考えながら、前には進んでいく。
そんなスタイルでは居続けたいなと思っています。