つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

「推し」という単語が不得意な話

11月04日は「いい推しの日」だそうなので。

「推し」や「推す」という言葉。
とても使い勝手がいいので、私も普段から使っています。
しかし、これらの言葉が少し、苦手だったりします。
なんだか自分の中で定義しきれていなくて。

前にもこの悩みについて何度となくアタックしていて、その時は落としどころを見つけた気がしていたのですがすんなりとはいかず。
今もわりと、混迷の中にいます。

もしご興味があれば、2つほどエントリを貼っておきますので、ご覧ください。

tsurumauy.hatenablog.com

tsurumauy.hatenablog.com

片方は、ちょうど去年の今日書いたみたいですね。

 

やっぱり、”推し”って本当に便利な言葉で。
10年どころか20年くらい前ですかね、を知っている人なら実感をもって賛同してもらえるかなと思うのですが、『萌え』という言葉と同じくらい使いやすい言葉だなと思います。

「好き」「ファン」「応援する」「応援している相手」
このあたりの、一言で言いづらい部分も含めた広い意味で、今ではわりと多くの人にもわかってもらえる概念になっているなあと思います。

 

私がどうもピンと来ていない原因は、私が好きだったり、応援しているその対象が、「推し」「推す」という言葉がうまく馴染まない、というのが一つあるんだろうな、と思います。

”ついこの間出てきた新人で、勢いがあって、グイグイ伸びていっているので応援して人気を押し上げたい”
”「人気を上げたい」と頑張っているんだけれどもなかなかうまくいかなくて、それでも本人に熱量がああるからなんとか日の目を見てほしい。”
そういう感じだと、「推す」ってわかるんですよ。
ただ、私にとっての対象の中に、そういったタイプの方ってほぼほぼいなくて。

ある程度人気もあって、押し上げるというよりは、本人が下を向きかけたときに下支えをするとか。
順調にお仕事をこなしていっているのを、継続して見守るとか。
そういう感じだと、「推し」とか「推す」というのが、なんだか何となく合わない感じがする。
もちろん、あくまでも個人的な感覚ですが。

たぶん、私の応援スタイルによるものなんだと思います。
そもそもの前提は”棲む世界が違う”。
認知を求めない、知られなくていい。
思いを外に出すこともあるし、表立って応援することももちろんあるけれども、基本的には見守りたい。
いちファンでいられることを大事にする。

その割に、ファン活動の方法がアクティブだ、という自覚はあります。
なので、いわゆる「真剣」な人だとか、”ガチ恋”側だと思われますが、本人はいたってそんなことはなく。
言ってしまえば『自分本位』なだけなんですよね。

自分の思いと、言葉にギャップがある。
だから、自分にとって、「推し」という言葉は、なかなか難しい言葉なんです。
使うたびに、一呼吸入れながら使っている感じですね。

 

不思議なことに、ファン活動という意味の「推し事」という言葉はものすごく馴染んでいて、あれこれ考えずに素直に使えるんですけどね。
ファンがみんな、推しという言葉を使わなければいけない、というわけでももちろんないので。
そのあたりは、言葉をうまく使いながら、そして、その言葉が嘘のニュアンスにならないようにしながら。

紡いでいけたらいいな、と思います。