都度都度で、『誰のファンか』が移り変わっていく人がいる。
「一途ではない人だ」と捉えられることがある。
かくいう私も、そう思ってしまったことが、過去にあるはずだ。
しかし、長年生きてきて、気づくこともある。
永遠なんてないし、絶対なんてない。
人は、変わらずにはいられないのだ、と。
写真だけを見て、ファンになる人はいるだろうか。
興味の対象になることはあるかもしれない。
ただ、実際に動く姿を見てみて、紡ぎ出す作品を感じて。
その人となりを知って、ファンになっていくのではないだろうか。
そこにあるのは、美麗さや、吸引力だけではない。
きっと、きらめくその瞬間を追っている。
きらめきは一瞬で。
そして、その一瞬は、決して長く続かない。
「人が恋に落ちる瞬間がある」というが、人が誰かのファンになる瞬間も、ある。
それを見たとき、ふと思う。
『誰のファンか』が移り変わる人は、軽薄なのでは決してない。
自分に正直で、嘘が付けない。
ある意味では、ものすごく真摯なのだ。
自分の心にも、相手の変化にも敏感で。
きっと、「全部が全部、事なかれ主義で〇でいい」とは思っていない。
自分が望んでもいないことを、心に嘘をつきながら笑顔で頷くことができない。
よりよい方向に行ってほしいからこそ、真摯に向き合う。
だからこそ、思っているところとの乖離が生まれると、それが容認できない。
好きになる理由は言語化できないけどあって。
心が離れる理由も、きっとある。
一緒に応援していた側として、「さみしい」という思いはある。
自分事のように心が痛むことがある。
ただ、気持ちはわかってしまう。
一途が真面目。
ふらふらしている人はチャラチャラしている。
そんな風潮はあるかもしれない。
ただ、そんなことはないよと。
これはきっと、誰でもそう。
だって、自分が生まれたその瞬間から誰かを応援し続けている人なんて、いないのだから。
誰かを好きになった瞬間、確実にあなたは「推し増し」をしている。
心は移り変わっているのである。