つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

『ツーテンポ遅れのミーハーが、同じものを好きで居続ける』ということ

ミーハーかストイックかでいうと、私は「ミーハー」に分類される人間だと思います。
何かが初めて生まれたとき、新しいものに進んで興味を持つのが"革新的なミーハー"。
アンテナを張っておいて、少し話題になったものを「お、これは」と思って興味を持つのが”ワンテンポ遅れのミーハー”。
私の場合は、界隈で話題になった後、その界隈に属さない人よりは少し早いくらいで興味を持つ、『ツーテンポ遅れのミーハー』なんだろうなと思います。

早い人は、そのものを吟味する前に飛びついて紹介する。
アンテナを張っている人は、自分の趣味に合うかどうかを考えて飛びつく。
それに比べて、ツーテンポ遅れのミーハーは、ある程度自分の趣味に合うかを考えたうえで、試しに色々なことを分析しながら、
「このコンテンツは自分に馴染むな」「この人は応援できそうだな」
と考えて、興味の対象に入れていきます。

他のミーハータイプの人より遅くて、すこし”面倒くさい”。
ツーテンポ遅れのミーハーは、そんな感じだと思います。

 

まず最初の段階で「吟味が入る」というハードルがある。
そのハードルをくぐったとしても(そこは跳んで)、外から見えている「パブリックイメージ」と実際の個性って違うことが多いわけで。少しその領域に馴染んでみて、違和感が生まれてしまった場合は、おそらく離れることになると思います。
そして、根は”ミーハー”なので、興味・関心の対象が移りやすい。
そんな厄介な思考回路のために、その興味が長続きしないことも多いです。

通常で、コンテンツはそれよりも長いかもしれないですけど、どんなに興味がある人でも、大半は一年とか一年半の周期で移り変わってきた。
そんな感じなんですよね。

 

だから、好きが長く続く人とかコンテンツって、それだけ魅力的なんだなあと改めて思います。

出会いの衝撃と実際の中身はもちろん違う。
そして、何も代わり映えがしなければ新鮮味が薄れて興味も削がれていく。
だから、物事は自ずと変わっていきます。
どんな人でも、どんなコンテンツでも、柱はあるんですけど、やっぱり時期ごとに印象って変わっていくものなんですよね。
それは向こうが変わるかもしれないし、こちらの考え方だって常に変わる。
その中で”好き”という感情が続いて行くのって、やっぱりそれだけの魅力があって、歯車が噛み合う、ベクトルがいい感じの方向で向かい合っているということなんだろうと思います。

 

感情って、波だと思うんです。
どんな人でも、好きな人や作品、もちろんキャラクターも含めて、常にその人を同じ熱量で好きでいるかといえば多分違って。
例えば、目の前に可愛らしいうさぎがいたとして、その状態で別の人に感情を寄せ続けるかといえば多分違うんですよね。
かわいいという感情の何割かはうさぎに持っていかれてる。
なので、よく言われる「DD」とか、「推しが多い」とかも、数の問題というよりは波の集合体だろうなあとは思っています。
関心があるときもあれば、それが一時的に小さくなることもある。
そのくらい、わたしたちは揺らぎやすいんだと思うんですよね。

で、揺らいじゃいけないって話ではないんです。
揺らぐのがむしろ普通で。
ただ、長い間つなぎとめてくる人というのは、その波を”絶やさない”。
絶やさないからこそ、少し好きでなくなる時期や、疎遠な時期があっても、何かの波で、何かのきっかけでぐっと引き戻してくれる。
だから、結果的に『長年好きでいる』という状況ができあがるんだと思います。

ファンになるって、義務じゃないんですよね。
オタクと一緒で、「気づいたらなっている」もので。
だから、そのあたりは自分に正直でいいんだと思いますし、好きで居続けることも義務ではないし、ファンで居続ける努力もしなくていいんだと思います。
好きでもないのにファンで居るって、ある種自分にも、相手方にも嘘をついていることになりますからね。
それはどちらにとっても、いいことではありません。

 

さて、今回書きたかったのは
『ゆらぎまくっている私(たち?)を、”好き”という状態でつなぎとめてくれる人やコンテンツってすごいなあ』
ということだったのですが、だいぶ飛躍してしまいました。
好きなものは長らく好きでい続けたいものですけれども、こればっかりは誰にもわからないし、ましてやイエスマンになればいいってわけでもないですよね。
自分の心と会話をしながら、「好き」という感情を大事にしていきましょう。