昔好きだったものって、今でも覚えていたりしますよね。
子供の頃に好きだった本だと、『ズッコケ三人組』(那須正幹)とか。
『ぼくらシリーズ』(宗田理)とか、少し歳を重ねると「東京S黄尾探偵団」とか。
今でもわりとスラスラ出てくるものです。
歌手だと、CHEMISTRYやバンプ(BUMP OF CHICKEN)が好きでした。
双方とも、休止などを経ながら現在でも活動はしていますが、好きだったのはあの頃で。
それでも、好きだったことには変わりがなくて、今でも好きなアーティストです。
バイブル的な曲となると、Suara「トモシビ」、牧野由依「アムリタ」、藍井エイル「シリウス」などがパッと挙がります。
このあたりは、流石に最近なので色褪せてないですけど、それでも最近よく聞いている曲ではなくなってきた。
それでも好き。
このように、「好きの年表」に載ってくるものがある一方で、その年表からは欠落してしまうものが、いくつもあります。
多分、そういったもののほうが多いでしょう。
確かに好きだったんだけれども、その熱が一瞬で上がって一瞬で冷めてしまったりとか。
うっすらと好きで、その印象が薄かったことで残らなかったりだとか。
とても好きだった人が社会的な問題を起こしてしまって、好きだったことが「黒歴史」になってしまったりとか。
作品でも、途中までは大好きだったのが、ストーリーがガラッと変わってしまって、それを認められなくなってしまったとか。
色々ありますよね。
こればっかりは、めぐり合わせだと思いますけれども。
せっかく好きでいるのであれば、時間が経って、もし自分が今その好きの領域から離れたとしても、『あのとき好きだったなあ』と、そんな記憶を振り返れるような好きになっていたらいいなあと思います。
”好きだったけど思い出したくもない”みたいなこと、できるだけ避けたいですし。
それってとっても悲しいことだと思うの。
タイトルを「好きでありたい」としたんですけど、正しくは「好き(なもの・こと)であってほしい」なんですよね。
それはもはや、祈りです。
受け取るこちら側の要素もゼロとは言えないんですけど、自分たちでコンテンツを動かせることは、ほぼほぼないので。
やっぱりその人だったり、作品だったりがどうするかというのは、もう”祈る”しかないことで。
それが、望むような先行きであってほしい。
望むような姿であってほしい。
そんな、少しおこがましくてわがままな祈りが、ここにはあります。