つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

応援される仕事

多くの仕事は、応援してもらえるようなものではありません。
裏や内心ではわかりませんが、表立って応援されるような仕事はひと握りで。
多くの人は、名を知られることも、感謝もされることなく、”働く”ということを全うしていきます。

その中にもひと握り、応援される仕事というのがあります。
それは、サッカー選手や野球選手といったアスリートであったり、タレントやアイドル、そして声優であったり。
彼ら彼女らは、ある意味応援することをなりわいとして、その応援を力に変えて自らの役割を全うしている感じがします。

 

ただ。
これをものすごくドラスティックに極端に見てみると、応援というものは、図式の上では必ずしも必須の要素でなかったりします。

野球選手でも、どちらかというと地味だけどしっかりと役割をこなす、バントの達人とか守備職人といったスーパーサブの人がいたりします。
彼らは、もちろんチームのファンの応援に答えていることになるのですが、実際にやっているのは一義的には「チームの勝利」であり、勝つことで稼いでいる部分があります。

また、声優さんもそうで、実際の声のお仕事に触れた記事なんかではよく言われますが、彼らはあくまでも「作品を完成させる段階で、”声”という魂を吹き込む」ための役割を担っている存在で、本来は表舞台に立つ役職ではなかったりします。

 

そう考えると、応援されるということの塩梅というか、バランスというのも悩みどころで。
もちろん、その応援や声援って大きなもので、なくても良いなんてことは思わないんですけど、自分が前に進むためのエネルギーを100%として、100%のうち100%が「ファンのために」だったりするのも、果たして良いことなのかなと思ってしまったりもする。

 

全く同じとは言わないけど、お仕事をしているという意味では、図式としては多分、多くの人と違わないんだろうな、と。
ただ、応援する・されるという伝統というか、ある種のお決まりと言ってもいいかもしれない、そういった関係性を築けてきているというのは、一つ大きなことで。
心の片隅には、彼ら彼女らも応援されるだけが仕事の形ではない側面があることを理解しながら。
比較的強いプレッシャーを感じ続けるような存在であることを考えると、やっぱり応援って必須なんじゃないかなと思い直したりもしました。


その、稀有で儚くて様式美ともいえる関係性をうまく続けていければいいのかな、そうできればいいな、と思いました。