つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

いつまでオタクを続けるのか

少し前に、このテーマで考える機会がありまして。
その時には
「ファンでいる対象は変わると思うけど、死ぬまでオタクだと思う」
と答えました。

実際、そうなんだと思います、私の場合は。
物心ついた頃からオタク気質で生きてきましたし。
そのスタイルを一生貫くのが格好いいから大言壮語を吐いているとかでもなく。
一生オタクでいることが格好良く見えるかというと、多分そうじゃないでしょうしね。
見栄でもなんでもなく、この感じは変わらないだろうなあと。

注釈じゃないですけど、最初の部分はべつに”常に推し変する”ということではないんです。
それこそ6年とか7年くらいこんな感じなんですけど、今みたいな感じをずっと続けていけるかというと、多分難しいと思うんですよね。
肉体は年を取っていくし、社会の立場も変わってくるし。
今ならなんとか時間を工面できているけど、それがいつまでできるかわからない。
また、応援している対象が最前線で活動し続けてくれているかもわからない。
そうなってきた場合に、応援する対象が変わることもあるし、在宅中心のファン活動になることだってありえるどころか、きっとそういうふうに移行していく。
今の感じではなくなるんです、きっと。
あとは精神性をどこまで保てるのかという話。

 

オタクに生きるのが楽になりました。
私は”ヲタク冬の時代”を肌身に感じながら生きてきたので、今は本当に恵まれているなあと思います。
人目を気にしながらコソコソオタクやるならそれを一生続ける自信はありませんでしたし、それこそ30くらいでそういうあり方は限界なんだろうなと思っていた。
でも、今のように、オタクであることが許容される風土の中であれば、それはずっとそのままでいられる、そう思っています。

一生とか永遠とかは言えない。
それは、応援される側にとってはあまり好ましくないのかもしれないですけど。
自分が好きなものを積極的に見つけて、これいいよって言って、場合によっては能動的に応援して。
そういうスタイルは、きっとこれからも続けていけるんじゃないか、そう思っています。

 

身も蓋もないですが、最後にこの言葉を引用します。

オタクはなろうと思ってなるもんじゃなくてさ
も 気がついたらなってるんだって 
        ―「げんしけん」より、春日部咲

なるのが「気づいたらなってる」なら。
もし辞める時があるとすれば、何歳になったら辞めるとかじゃなくて、
「気づいたらやめてる」なんでしょうなあ。
そして多分私には、その”辞める”はないです。