つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

共通認識に100%はない

常識。
”コモン・センス”。
共通認識。
そう呼ばれるものって、「ある」とされています。
でもね、もしかすると「ないんじゃないか」と思ったりもするんです。

オタク仲間とかもそうですけど、”同じ趣味の仲間って、同じような考え方をする”って思いたいじゃないですか。
おおむねの考えのベクトルを似たような方向に向けることは、できると思うんです。
でも、それぞれの認識が全く同じかというと、そんなことはなくて。
みんな、好きなもののタイプも興味があるジャンルも少しずつ違って、全く同じことがない。
その感じはきっと、肌感覚でわかると思います。
「似ている」はあっても、「100%合致する」は、なくて。

 

その人がどう考えているかは、その人の心の中を覗くしかなくて。
でもそんなことは絶対にできなくて。
ある漫画で、
「好きな人に自分の心の中を知られていたら、あたしなら恥ずかしくて死にたくなる」
というセリフがあって、きっとそういうこと。

だから、親しい集まりの中でも、共感や似たような感覚を持つことはできるんですけど、それは100%の合致ではないんですよね。

そのあたりの前提がないから話がずれていってしまっているんだなあ、というボタンの掛け違いを見ることがちらほら。

 

ただ、だからといって「それでいい」と言うわけではなくて。
理解しようとする努力というか、姿勢というか、そのスタイルは大事だと思うんですよね。
人の心はわからねえから、我が道を行く。
多分それは、人にとっても、そして自分自身にとっても排他的になっている状態で。
そんな中でも、自分はきっと何かに生かされていて。
それは衣食住を司っている人だけじゃなく。
身近にいてくれる人だったり、仲良くしてくれている趣味の集まりだったり、元気をくれる人々であったり、色んな人と関わり合いながら生きているんだと思うんですよね。
そうやって生きている以上は、やっぱりそこを理解出来ればしたい。

理想かもしれないですけどね。
前半と後半で真逆のことを言ってるので、机上の空論かもしれないですけどね。

でも、そんなことを思いました。