つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

地方を変える「よそ者、若者、ばか者」は幻想だったのか

地方の衰退や東京や都市部への一極集中が囁かれて久しいです。
集中しているものは、人だけではありません。
ヒト・モノ・カネ・情報。
こういったものが都会に集まるようになり、勢いのあるところはますますその勢いが加速していき、そうでないところはだんだんに勢いを失っていく。
そんな状況が、もう何十年も続いています。

 

そこで、地方も逆転しようと狼煙を上げ始めたのが、「地方活性化」です。
これは時代だったり、政権だったりで言い方が変わっていて、
「地域おこし」「地方活性化」「地方創生」とか様々な呼ばれ方がしていますが、些細な違いはあれどだいたい同じものになります。

地方がどうすれば活性化できるか。
その一つのヒントとなったのが、「よそ者、若者、ばか者」というワードでした。

  • その地域の考え方を知らない『よそ者』。
  • 社会一般の常識にとらわれない『若者』。
  • 基本的な考え方から外れても意に介さない『ばか者』。

この三者が、ある意味で固定していた世界観を”ぶっ壊す”ことによって、地域活性化が達成される。
そんなユメモノガタリが、ずっと言われてきました。

 

最近、『「よそ者、若者、ばか者」は本当に必要だったのか』という議論がされているようで、実は必要なかった、みたいな結論に至っている記事を見かけました。
確かに、地方が活力を取り戻せないままでいるのは事実です。
ただ、本当に他所から来た人、若者、ばかだなーという感じのことをやる人、彼らは、必要なかったのでしょうか。

 

少し話がとびますが、2000年代、主にアニメファンなどの間で巻き起こった「聖地巡礼ブーム」というものがありました。
そこはなにもない、何の変哲のない場所。
しかし、アニメや作品を見た人にとっては、とても意味がある場所になる。
そうした創作の世界と現実の土地とを結びつけ、その舞台を探訪しようという取り組みが『聖地巡礼』と呼ばれるようになり、その影響は一般的にも”馬鹿にならない”くらいのものになります。
らき☆すた」の鷲宮(埼玉)。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の秩父(埼玉)。
ガールズ&パンツァー」の大洗(茨城)。
ここでは上げきれないほど何百もの実際にある場所が”聖地”となり、期間限定的だったかもしれませんが、大きなプラスの効果をもたらしました。

その延長線上に、昨今温泉地の一つの希望の光になっている「温泉むすめ」であったり、ラブライブ!サンシャインと沼津などの成功例などが存在しています。
また、ツアーやイベントなどを誘致することによるプラスの経済効果なども生み出されています。

 

「よそ者、若者、ばか者」の話は、どうしても
『そういった人が地域に根づいて、そこの中心人物になっていく』
という文脈で語られてしまう気がします。
実際、若者の定住率、定着率はあまり高くありません。
でも、大事なところは、そこじゃないんですよね。

よそ者、若者、ばか者って、必ずしも地域の中心人物にならなくていいんですよ。
郷に入らなくていい。
その場に行くだけでいい。
やっぱり、地域の中心人物って、そこに今いる人で。
外から来た人は、いわゆる「ペリーの黒船」なんです。

だから、最初は訝しがられる。
でも、来た目的を知って、需要を察知して。
いかに自分たちがいる土地の魅力を改めて知って、ブラッシュアップして、それをわが町の新たな魅力にしていけるか、ということなんです。

 

冒頭で書いた『「よそ者、若者、ばか者」は必要なかった』という話。
その結論は「地域の活動の中心にそういった人(よそ者、若者、ばか者)がいないケースが増えてきた」ということでした。
確かに、それはそうなんだと思います。
作品や交流がきっかけで移住する人はいますけれども、定住する人はさほど多くない。

ただ、先ほど触れた「聖地巡礼する人」や「温泉むすめのファン」、後はライブやイベントで来る人とかですね、そういった人って、活動の中心にはなかなか入らないんです。
でも、何かあったらいつも来てくれる。
よく、アイドルの話で「アイドルにとっていつも来てくれるファンは大事」みたいな話を聞きますけれども、それと同じなんですよね。
そのいつも来てくれる人を大事にして、地方では何が必要かを考え、動いていくことこそが地域活性化であり、地域に元気をもたらしていく一つのきっかけなんではないでしょうか。

 

地域を盛り上げたいと思っていて、ただそこに移住するくらいの勢いではなくて、でもそこに頻繁に行きたいと思っている。
それでいいんです。
それで、地域は変わるんです。

 

最後に、タイトルに戻ります。
幻想だったのかといえば、”それを意図した人の間では幻想”だったのかもしれません。
でも、誰が地方を変えるのか、という視点がそれは違うと思う。
地方を変えるのは、その地域にいる人自身なんですよ。
「よそ者、若者、ばか者」の力を借りて、時にはともに支え合いながら、自らが変える。
自らが元気づけていく。

「よそ者、若者、ばか者」は、きっと幻想ではないはずです。