つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

作品を何の気なしに見る

作品を何の気なしに見ることが減ってきたなあ、という実感があります。

娯楽の世界なので、本来は興味のあるなしで見る見ないを判断していけばいいのですが。
どうしても、話題の作品だからとか、応援している人が出るからとか、そんな判断基準で見る作品、振れる作品を選別することになりがちで。
いつの頃からか、”マストで見なければならない作品”だけしか見れないような、そんな逆現象に陥っている気さえしていました。

最近は、そうじゃまずいよなと思って、本当に興味・関心のあるものをチョイスして選ぶようにしています。

 

いろんな入口から作品を知るわけで、そこにはもちろん自分が”ごヒイキ”にしているところがきっかけになったりもしますが。
それでも、ある種義務的というか、”マストで見る”という作品に比べたら、心底から興味のある作品に対してのモチベーションって、やっぱり違うんですよね。
たぶん、受け身で見ているのと、前のめりで見ているのって違って。
後になって記憶に残っているのって、前のめりに、能動的に見ていた作品だったりもするんです。

 

最近、「追えるものは全部追う」ことがよしとされる、”オタク完璧主義”じゃないですけど、そんなスタンスをほんのり感じることはあります。
それはスタンスなので自由なんですけど、そうでない人がやや遅れを取っているような扱いになっているような気がして。
ほんとうは、そこに優劣も貴賤もないんですけどね。

人には感性があります。
感じ方があります。
外に向けてどう発信するかは、判断だと思います。
全部肯定するというスタンスで発信するという選択肢もある。
でも、内心の部分で、「この人の言う事、やることは全部正しくて自分が100%共感できる」というケースなんか、ごくごく希なレアケースで。
そうでない部分もどこか内申にはあって。
そうなってくると、きっと義務とか、意地とか、そうなってしまう気がします。

自分の感性にしたがって、好きなもの、興味があるものをチェックことって大事だなあと思います。
それは別にふまじめでも軽薄でもなくて。
いろいろなものを見ることで、より多彩な知識が入ってくるし、様々なケースを見ると傾向や”真ん中”を見ることがやりやすくなります。
自分が元から好きなものへの理解も深まるかもしれません。

 

何の気なしに見る。
無意識下の話なのでわかったように言うことでもないんですけど、多分その”何の気なし”って、選び取った結果なんですよね。
そんな偶然と奇跡が噛み合った”何の気なし”。
楽しもうじゃありませんか。