つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

テレコってる興味の持ち方について

「テレコってる」というのは、

  • 入れ替わってる
  • 逆になってる

といったニュアンスの意味を指す、業界用語っぽい言葉です。
歌舞伎用語が元とのことで、じつは由緒ある言葉らしいんですけれどもね。

実際に”テレコってる興味の持ち方”なんて言い回しはありません。
私が勝手に作りました。
ただ、実際の概念を想像して造った言い回しなので、なんとなく想像しながら読んでいただければと思うのですが。

 

たとえば、活動が多様化していて、マルチタレントのような存在になっている、声優。
アニメなどでその演技に魅了されてファンになることもある一方で、”芸能の人”として各種メディアに露出することでファンになったり、声優とは本来別の活動外のはずの”アーティスト活動”の部分ですとか、コンテンツの一環での”アイドル的な活動”から興味を持ったりすることもありますし、”映像付きラジオ”など、副次的な要素でファンになるとか、そういったファンの入口というのもあります。

元に立ち返ってみれば、彼ら彼女たちは”声優”という看板を背負っているわけで。
『やっぱり役者として好きになるのが全うだよね』とか、そんな話はあって。
それ自体は全然間違ってないどころか、ストレートな好きになり方だとは思うんですよね。

ただ、最近思うのが、「別に入口はどこでもいいんじゃない?」ってことで。
どんな活動であっても、その人がその人の名前を冠して活動していることであれば、それは当人の活動であるわけで。
「そこに貴賤はないよな」と思ったりします。

入口がビジュアル的な活動であっても、バラエティであっても、音楽であっても、書き物であっても、SNSが面白いとかだったとしても、全然いいんだよなって。

 

そもそも、『何が気に入ったからこの人が好きです』なんて、言葉にして書けないんですよ。
表向きな説明はそれぞれ持っているかもしれないし、しっかりと向き合っていけばある程度の答え合わせはできるかもしれないんですけれども。
誰かを好きになって、応援するって、そんな単純な感情じゃないはずで。
それを人に対して完璧には伝えられないんですよね。

だから、そこはテレコっててもいい。
そう感じます。

 

私たちも、こういう仕事をしていますとか、誰のファンですとか、定義めいたものはあったりしますよね。
でも、机の上でパソコンに向かってキーボードを叩いている事務の人でも営業に回されることもあるし、プログラム組めって言われるかもしれないし、『君、広報としてテレビ出て』って言われることだってあるかもしれないんです。
”誰かのファンだ”という人も、何かきっかけで他の人の重要人物として有名になることがあるかもしれない。
定義はこの世界の”軽くてあやふわ”なことだったりするのです。

 

これだけ社会が発達して、考え方も多様で、情報にあふれている今が、何でもかんでも単純で、シンプルに決まる訳なんてないので。

テレコってていいんです。