つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

拠り所

なぜ、私たちは誰かのファンになるのか。
なぜ、その一挙手一投足に一喜一憂するのか。

感情じゃねえんだよ、という話だとは思いますけれども。

 

『誰かを応援することが好きで』という感情がウソというわけではありません。
ただ、”応援する相手を選り好みしない”というわけでは勿論なく。
「応援」という行為は、どうしても自己犠牲的な要素をはらむもので。
犠牲バントをするにも相手は選びたい”というのが正直なところです。

私は、再三言っているのですが、まあ自己中心的な人間です。
当の本人はへなちょこで、それを温和だと捉えられることもある反面で、ネットの端々から滲み出るところがあるように、おそらく色んなところで「戦う」という選択肢を選びがちなタイプで。
いつも、何かで、どこかで、表で、見えないところでズタボロになって。
『どこかで常に拠り所を求めている』というところがあったんですよね。

それが、家庭だった時代もあるでしょう。
地域だった時代もあるでしょう。
少し前はネットだったかもしれない。
それが今は、『誰かを応援すること』が、心の拠り所になっています。

 

それって、応援なのだろうか。
独りよがりじゃないだろうか。
多分そうだと思います。
応援としては、ふさわしくない部分、多々あると思います。
この応援の仕方のほうがもっといいとか、あるかもしれません。
こうやって向き合うのがオーソドックスとか。

でもね。
悲しいかな、人って不器用で。
人との向き合い方って、その人なりの向き合い方があって。
誰かからアドバイスをされてそれがいい方向に行くことはあっても、誰かにその思いを矯正されたりするようなことでもないんですよね。
そこに「たった一つの正解」はなくて。

何かを気にしてやり方を変えたりしても、そこに心がなくなってしまったら元も子もないから。
出来ることを無理なくやって応援する。
ナチュラルに好きなものや好きなことを好きと言って、応援したいときにする。
勝手に自分の拠り所にしたっていい。

と、私は思っています。

 

いつも拠り所にさせてくれて、なってくれて、ありがとうございます。