つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ファンの悩み学

年の瀬が近づいてきましたね。
それに連れてか、ファンとしての立ち位置や、「私の応援の仕方は正しいんだろうか」と悩む人を見ることも増えてきたような気がします。
ネットがなかった頃に比べて、”応援する”という行動が確実に自分の外に見えやすくなった今、気になるのも不思議なことではありません。

推し方に正解はないし、良いファン、悪いファンがいるわけではなく、みんな等しくファン。
個人的にはそんなスタンスで、今でもさほど変わっていません。
ただ、これですと言っても、考えは常に更新していかないとですし、ケースバイケースで判断しないといけないこともあります。
このあたりをベースにしながら、常にうんうん頭を悩ませている、というのが正直なところです。

大層なタイトルを付けましたが、少し話題を広めにとりながら、ざっくばらんな話を滔々と書いていきたいと思います。
拙文ですが、お時間ありましたら。

 


「誰かのファンになる」ということは、身も蓋もない言い方をしてしまえば『ある種の趣味の一つ』だと思っています。
衣・食・住といった、最低限生きるライフラインでは、もちろんありません。
それが欠けたからといって、国や自治体が何か保障してくれるわけではない。

なので、そこを勘違いしてしまうと、自分の人生も狂わせてしまうし、最終的にプラスにならない結末になってしまう可能性も大いにある。
だから、『あくまで自分があった上でのファン活動なんですよ』という話は過去にも書きました。

 

ただ、そんな綺麗事だけで片付けられるわけでもないのが現代で。
「ストレス社会で戦うあなたに」というCMが世に出る前から、平成・令和の時代はストレス社会ですから、心の拠り所がほしくなるわけです。
それが地域で担われていた時代はとっくに終わって、わたしたちは「電脳の海を隔てた身近な存在」を拠り所とするようになりました。
それが今を生き抜く上で必須になっている人もいて、まさに私もその一人なわけです。

私たちは、誰にも邪魔されない孤独という自由を追い求めながら、誰かとつながらなければ行きてはいけない。
これもまた、事実なんだと思います。

 


良いファンとは何か。
ファンとして正しい行動とは何か。
多かれ少なかれ、悩んだことがある人ばかりだと思います。
その結論は案外あっけなくて。
最初に書いたように、私たちは他の人がした行動を正しい、間違っていると判断することはできませんし、みんなが等しくファンで、ファンの間の貴賤なんてものはない。
そういうものなんだろうなあと思っています。

「じゃあわたしたちはどんなファン活動をすればいいんだよ、八方塞がりじゃないか!」ということになるので、自分なりの考え方でまとめてみますと。

「わたしとあなた」という一対一の関係の中でキャッチボールをしていくことを重視しながら、「わたしたちとあなた」の視点を適度に頭に置いておく

という、少し長いですが一文になるのかな、と思います。


ここで言う『わたしとあなた』というのは、「ファンと、応援される存在」を指します。
少し前に一世を風靡したセカイ系とある種同じで、ファンとの関係性って、本来は一対一なんです。
その一対一の関係がたくさんあるから『ファンがたくさんいる』という結果にはなっているのですが、それは一つ一つの積み重ねのはずで。
私たちが、誰かをファンとして見るのに、その間に他の存在は介在しません。
知る切っ掛けで“誰かのおかげ”というのはあるかもしれませんが、ファンになったらその間にレンズは入らない。

大事なことは、「わたしがその対象に何をもらっているか」を踏まえた上で、「こちらができることで、その対象にとってプラスになることは何か」を丁寧に考えて、行動することだと思います。
もちろん、ルールに反してはダメです、それは大前提として。
周りからどう見られようと、誰になんと言われようと、その人が本心で「ありがとう」と言ってくれればそれでいい、報われる。
そんな構図はあると思うのです。

そこにズレを生まないために必要なことが、相手方としっかりキャッチボールをすることです。
よいファンや行動に正しさはないという話をしましたが、これは一般化できないという部分もあって、「応援する相手によって求められることがぜんぜん違う」からでもあるんです。
「私だけ見てて欲しい」という人もいれば、そうでない人もいるように。

多くの方は、何らかのツールを使って、自分はこういう存在で、こういうことを思っていて、こうしてくれるのを好ましく思うというメッセージを、出してくれています。
『メッセージだよ』とは言っていないにしろ、何か発信はしています。
それを受け取ったからこそ、あなたはその人に興味や関心を持ったはずで、気づくことができたはずで。
そのメッセージを受け取って、何かを返せる。

だから、そういう意味でも、一過性ではなく、定期的にその姿を見ていく、観察していく、意識し続けていく。
そういうことは、とても大事なことだと思うんですよ。
メッセージをちゃんと受け取って、できることをできる限りで返していく。
それはきっと、『短く太く推すのではなく、細くても長く応援してほしい』というところにつながるのだと思います。
それがある意味での『共犯』というところにもつながるのかもしれませんが、それはまた別のお話。

ここで大事なのは、相手の期待に答えるために、自分の能力以上のことをしようとしないこと。
無理をしたらどこかで折れてしまいますし、細く長くの応援なんかできなくなります。

本当の、ファンでいるプライマリーのことって
「好きです、応援しています」
という思いを持ち続けること、それだけでいいんです。
その基本の思いさえ心に持っていられれば、いいんだと思います。

 

 

ここで、もう一つの『わたしたちとあなた』の話に移りたいと思います。

前半に書いたように、ファンでいることは娯楽の世界だし、法やルールを破らなければ、自由にやっていいはずなんです。
ただ、今はファン活動って、ネット上で行われている部分も多くて。
「SNSなんかやってないよ」という人も、何かの配信でコメントしたりはするでしょうし、現実の世界でも、イベント現地で行列に並んだり、席に座ったときに前後左右に人がいたりはするわけで。
『わたし以外のファンがいること』も、避けては通れない大きな要素のひとつになっていると思います。

ファンの集まりは、望ましい方向に動けばものすごいパワーになる反面、強いオピニオンリーダーがいたり、集団が未熟だったりした場合、あらぬ方へ暴走をしかねないこともあります。
そのあたりの塩梅も難しくて、ファン活動の悩みのいくつかは、ここにあるのかもしれません。

関わる人数が多い分、望ましい方向を見つけて、そこに行くようにするのも難しいのですが。
ここでも大事なのは、「わたしとあなた」の関係性と同じで、あなた=応援している対象が、その動きを受けてプラスになるのかどうかという観点で、活動を見極めるというのを大前提に置くと、方針はぶれづらいのかな、と思います。
そして、そこに賛同できないのであれば、その動きには反応を示さない(批判をするのはNo Good)、とかですね。

そのあたりは経験がものを言うところにもなってきたりするんですけれども、褒められた話ではありませんがいくつかのファンコミュニティを渡ってきた身としても、どの集まりでも共通するような“最低限のマナー”みたいなものは共通しているかなと思います。
なので、一つ徹底できるとすれば、同じファンの仲間内でも礼節を持つことをベースにしておくと、事故は起こりづらいかもしれません。

そして、同じファンと張り合おうとはしないこと。
これで脱落していってしまう人も少なからずいるのですが、ファン活動は競い合いではありません。
わたしはわたしなので、他のファンと張り合っても何も生まれるものはありません。
これが、”わたしとわたしたち”との間の関係性を一気に瓦解させるおそれもありますので、すごいなあとか思う人はいるとは思いますが、ファンでいる以上、立場は同じで、そこに貴賎はありません。
だから、上に出る必要も、自分だけ目立つ必要もないのです。


とりとめもなく書いてきましたが、このあたりでしょうか。

そもそも、誰かを好きって表明することって、相当なエネルギーなんです。
「自分はDDだ」と照れ隠しの迷彩を被りながら申し訳程度に宣言する人もいますけど、それだってすごいことなんです。

 

ファンになること、ファンでいることって、思ったよりもシンプルなんです。
そして、その状態でいることが、思ったよりも応援している人のプラスになっている。

色々、考えすぎてしまうことはあるかもしれません。
悩みの種になっているかもしれません。
でも、最初の思いに、根本の思いに立ち返ってみると。
自ずと答えは出るのではないでしょうか。

 

 

だって、「好きです」「応援します」という思いに、嘘偽りはないでしょうから。