つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

応援は巡り巡りて

完全に”受け手”だった私が、お手紙を書いたり、お花企画などのファン活動を始めた頃に、既にその道を先駆していた人に言われた言葉があります。

『お手紙を書いたりプレゼントを送ったりしても、本当に当人の手にわたっているか、読んでもらっているかはわからない。
お花だって、見てもらえているかわからないし、よく思っていない人もいて、ある意味それが当然。
見返りなんかもないよ。
”応援は自分のためにやること”だというのは、思っておいたほうがいいよ』

と。
人生訓的な感じの会話でしたが、文字に起こすとなかなかに強烈ですよね。
今とは少し状況も違うとは思いますが、「応援される側とは棲む世界が違う」と考えている私にとっては納得のいく考え方で、私のベースの一つになっています。

応援する行為は、結局のところ自分のためなのか。
ニュアンスを伝えるのがとても難しいんですけれども。
「確認できる方法が乏しいので、そう捉えざるを得ない」
というのが、個人的な結論です。

私たちファンが、応援している人と一対一でやり取りをしていると考えていても、そこには事務所があって、クライアントさんがいて、コンテンツがあったりする。
それを前提で動いている仕事である以上、ファンが「良かれとしてやったこと」が求められていたことなのか、相手にプラスになるのかって、わからないんです。
だから、自己満足と捉えた上で動くほうが、袋小路に入らなくていい。
そんな感じでの、「自分のため」なのかなと思います。

それでは、応援することは、相手のためではないのか。
それには声を出して言います。
そんなことはありません。
こういう内容を書くと、「考え抜いた上で応援すべき」とか、「なにか問題になるならやらないほうがいい」という話になりがちですが、そんなことはなくて。
応援の仕方だって、千差万別です。
イベントにたくさん行ったっていい。
グッズをたくさん買ったっていい。
何かファン企画をやるのもいい。
でも、SNSでつぶやいたり、RTすることだって、立派な応援なんです。
友達や仲間に『こんな新人さんいるんだよ』と話題に出すのだっていい。
それも大事な応援のひとつなんです。

決まりがあるなら、それを守ることは大事ですが、それ以外はやりたいことをやれば良いんだと思います。
変な話、マナー的なものもとりあえず置いておいて、少し問題になりそうだったらトーンを落とせばいい。
気をつけるのは、「応援の大小で判断することは避ける」ということと、「応援することだけが目的になってしまわないようにする」ということくらいでしょうか。

私が頻繁に使う”キャッチボール”もそうですが、相手方と会話しながら応援すること。
そして、相手に嘘をつかない、おべんちゃらを使いすぎないこと。
そのあたりが中心にあれば、きっといい応援になると思います。

 

最後に、「本当に見返りはないのか」、「報われることはないのか」という話をします。

”コアファン”という概念があります。
「ファンとして強い情熱を注ぎ続けている人」のことを指す言葉で、それが古くは「オタク」と表現されてきましたが、その相手方に何か動きがあったときに、寄り添って反応・行動するタイプのファンです。
ファンの人数が多い人も、ファンの裾野がいくら広くても、コアファンの数は限られます。

そのコアファンのことを、当人は、事務所は、クライアントは、コンテンツは、思った以上によく見ています。
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』と同じです。

ある意味、当然なのかも知れません。
ファン側はビジネスではないのに、相手方はそれが職業なのですから。

だから、コアファンの行動は注視されます。
その中で、要望もほんの少し、吸い上げてもらいやすくなっているのかもしれません。
これは保証できる話でもなく、夢物語レベルの話ですが。
うすく、ほんのりではあるのですが、その芽はある。

 

推し事も推し方も人それぞれ。
”そこに正解もないし貴賤もない”ということは心に持ち続けていますが、「動く」こと、これはとても大切です。

応援することのエネルギーは、きっとプラスです。
誰かに負けてほしくて応援することなんてない。
そのプラスのエネルギーが、世界を巡り巡って。
もし自分のところに戻ってくるようなことがあれば。

それはきっと、「幸せスパイラル」なのではないでしょうか。

「誰かが幸せになると、自分もちょっぴり幸せになるよね。
 君が幸せになると、私も幸せ。
 私も幸せになると君も幸せ。
 ずーっと、ずーっとくりかえして。
 ほら、幸せスパイラル」

(「リトルバスターズ!」より、神北小毬

 

 

【参考】