つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ファンはファンを増やせるのか

「ファンが応援を頑張れば、ファンがもっと増えるんじゃないか」
そう思ったことはありませんか。
マーケティングのコラムみたいなのを見ていても、"ファンがファンを増やす構図"みたいな話をよく見かけます。

しかし、最近こう感じることが増えました。
「ファンを増やすのって、かなり難しいなあ」と。

 

正直、捉え方の話しなんですけどね。
いちファンが”「応援している人のファン」を増やす”って、たぶんできないんです。

 

「いや、ファン発信でこんなことやってファンが増えたよ」とか。
「ファン同士で盛り上がってファンの規模が大きくなったよ」とか。
たぶん、異論はたくさんあると思います。
私自身もたくさん異論が浮かびます。

ただ、厳密に捉えると、
ファンは「応援される側のその人」にしか増やせないなって。

誰かを応援したり、ファンを増やそうという動きをしたり、そういったことをすればするほど、そう感じるようになりました。

 

確かにさっき書いた例は、ファンが増えてる感じはします。
でもそれは、個人についたファンというより、作品やコンテンツ、そのクラスタのファンだったり、「ファンとして活動しているいちファン」のファンだったりして。
実は直接的な話ではなかったりするんですよね。

 

結局は、その人の魅力だったり、活躍を通してでしか、ファンって増えないんです。
そもそも、誰かが誰かに出会って、好き、応援したいと思ってファンになるわけで、いちファンが、なんでもない一人が、その一対一の関係の間になんか入れない。
誰かの「好き」や趣向に影響を与えられるんて、烏滸がましいことなんです。

 

ただ、そんなドライな話ならこの文章書いてません。
ファンの活動は無力ですよー みたいな話は書く意味がないですよね。

 

いちファンはファンを直接的に増やすことができないけど、ファンが増えるような落とし穴をたくさん掘ることはできるんです。
・・・言い方が悪かったですね、”誰かが引っかかるフックを沢山用意できる”んです。
・・・同じか。

 

最近よく言ってる話ですが、「応援している人の名前を連呼する」というのも最たる例で。
選挙で見かけるあの手法ですが、そこそこ有効だったりします。
誰かに「あ、この人は〇〇さんが応援している人だ」と思われたらそれで十分。
その人は、何にもわからない人から少し知っている人になる。
少し知っているなら、そこから関心を持つ人が出てくる可能性が僅かにあります。

「外に見える形で自分のファン活動を発信する」のもとてもいいと思います。
それは宣伝が目的ではないかもしれない。
でも、人は、誰かがとても楽しそうに過ごしているものは、やっぱり気になります。
楽しそうに推し事をする、ファンとして楽しむというのは、とても大事なことなんです。

応援している人の活動を拡散するのも、まさに「落とし穴を仕掛ける方法」の最たる例です。
SNSでRTや拡散するのもいい。
「配布芸」をするのもいい。
ブログで「これがおすすめだよ」という長文を書いてもいい。
「世界からのサプライズ動画」を用意してもいい。
バンジージャンプを飛んでもいい。

落とし穴を仕掛ける、フックをたくさん用意する。
薄利多売です、もうそれでいい。
誰かが引っかかってくれさえすれば。

 

この文の中で、「ファンはファンを増やせない」を狭義、”ものすごく狭い意味”に限定して書いていましたが。
裏返して、広義・・・広く捉えてみると。

自分が好きなものを楽しそうに楽しんでいれば、ファン活動や推し事を満喫してそれを発信していれば、それは巡り巡ってファンを増やすことにつながるってことなんです。

 

 

ファンを増やす要因はもちろん、応援される側の魅力があってこそのことです。
いちファンがその一対一の関係性の間に介在することはできない。
でも、できることはちゃんとある。
そこに至るまでの少しのことが、つながることがある。

 

ファンを増やそうという視点ではなく、自分たちが楽しんでいる様子を見てもらうことで、結果的にファンが増えていく。
そんな感じで、いいんじゃないでしょうか。