つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

セルフプロデュース

セルフプロデュースって、パワープレイだと思っていたんですよ。
自分の中で「こうしたい」という確固たるイメージがある。
それを様々な技能を持った人と意見を闘わせながら、時にはわがままを通したりして、自分のイメージ通りのものを作り上げていく。
実際、このスタイルの人もいると思いますし、そのくらいパワーが強くてストイックな人でないと、自身をプロデュースするのって、難しいと思っていたんですよね。
特に、役割を周りから与えられることが自然な世界では、なおさら。

 

ただ、それとは少しアプローチの異なるセルフプロデュースを目にすることがあって。

与えられた役割は縁もゆかりもないもので、その場所では自分中心のパワープレイができるわけでもないのでその枠組の中にはいるのだけれど。
その枠の中を自分色に染め上げて、自分の空間にしてしまう、というものでした。

少し前に流行した『置かれた場所で咲きなさい』のひとつではあるんですけれども、そういう咲き方も実際にあるんだな、と気付かされました。

 

今、トガれないじゃないですか。
表に出る人も、裏方だってそう。
尖ることは表面ではほんの一瞬、一刻だけチヤホヤされたりするけれど、後から考えてみたらよいことはなかったりする。
そんな雰囲気の中で、我が道を行くセルフプロデュースをできる人はすごいですし、精神的にも強いなあと思うし、無理はしすぎないでと思うものなんですけれども。
置かれた場所の中で個性を発揮するというセルフプロデュースもあるんですね。
長期的にみたときには、もしかすると、あまり禍根を残さずに「自分」という形を丁寧に作っていけるのはこちらなのかもしれないですね。

 

そんなことを思った今日この頃でした。

ファンであることと、応援と、最初の想い

『こういうのはファンが買い支えないとね』

確か、「げんしけん」にあったセリフだと思います。
私が読んでいたのは、高校とか大学の頃。
既にヲタクに片足を突っ込んでいた私も、趣味に使えるお金が潤沢であったわけではなく、この言葉もあまり深くは捉えていませんでした。

 

私が初めて明確に「この人のファンです」となったのは、CHEMISTRYでした。
ちょうど中学生の頃。
人というか、二人組ですからユニット・デュオですね。
飾った言い方をすれば、その音楽性に惹かれ、何年かはずっと聞いていました。

多感な時期だったこともあり、今でも初期2年くらいの曲はニュアンスを含めてそらで歌えますから、それだけ入れ込んでいたということでしょう。
周囲にも「私はCHEMISTRYのファンだ」と声高に宣言し続けていました。

ただ、ヒットチャートの順位は気になるものの、「一枚でも多くCDを買って、売上を一つでも上げよう」みたいな考え方はありませんでした。
もちろん、中学生でお金もないですしね。

その後、アニメ界隈でも「ハッピー☆マテリアルを1位にしよう運動」があったりしましたが、これも一種の”ネットの祭り”として捉えていましたし、その後に人気を博すAKBのような活動も、意識することはほぼありませんでした。

そう、「ファンである」ということと、「応援する」ことは一致ではなかったのです。

 

そもそも、例えばアーティストや、声優さんもそうですが、役割を求められて表舞台に立っている人は、”プロ”なわけです。
プロは与えられた役割をしっかりこなすことが仕事。
そう捉えると、それを「応援する」というのは、よく考えたら不思議なことでもあって。
たまにある、「頑張れー!はやめろ」みたいな話も、ここに通じるのかな、と思います。

 

そこから振り返ってみると、何かや誰かを応援するというのは、私の場合は同人活動に対する接し方がわりとそうでした。
もちろん私は何も作れないので、一般参加側。
コミティアなどで同人誌を発行している人に「活動がんばってください!」ということはよく言っていましたし、応援の意味での購入もしています。
マチュアの立場なら、「応援」ってわりとありえることだったなと、ふと思ったんですね。

ちなみに、私の「鶴舞雪」という今のハンドルネームも、同人誌の感想を書いて紹介する目的で生まれたものだったりします。
元々はペンネームだったんですね。

 

 

これはもう半分私のオタク語りなので、私の歴史を書いていきますけれども。
2017年くらいから、「応援」という言葉を発する頻度が増えていきました。
それも極端に。
コンセプトは良いけどまだまだ認知度が足りない、というコンテンツが当時はあって、それをもっと広めたいと思っていた時期でもあり。
声優さんを”個人”として好きになり始めた時期でもあちました。
君の名は。」も流行したりと、オタクに対する世間の風当たりが極端に弱まった事も手伝って、誰かのファンであるということを言いやすく、そこに「応援」という要素が組み込まれていったのだと思います。

 

ただ、ここで混同してはいけないなあと思うのは。
『誰かを応援することで救われることはあるのだけれど、
応援するためにファンになったわけじゃない』
ということなんですよね。
よし、この人を応援しよう!と決めて「私、ファンになります!」って。
たまにネタで見かけることはありますけれども、人間の感情ってたぶんそんなに単純じゃなくてですね。

私の場合、誰かを好きになって、ファンになるって、大体がパフォーマンスや振る舞いとかに圧倒されて好きになってるんですよ。

ステージ上でのアピールがぶっ刺さった。
音楽の表現力と魅せ方に魅入られた。
パフォーマンスは圧倒的なのに、砕ける部分がびっくりするほどユーザーフレンドリーでそのギャップにやられた。
器用かつ押しの強い表現力に射抜かれ、別の活動は日々救われる原動力になった。

誰かを応援しようとして好きになってるんじゃなくて、ちゃんと好きになった理由があって。
そこに何かの理由が掛け算されて「応援しよう」となっているんですよね。

"この才能はもっと広く知られるべきだ"とか、”こういう活動をしたいと言っているからそのチャンスを掴んでほしい”とか。
特にマルチタレント化が進む声優さんですから、本人が本来不得手としている活動に対して”頑張れ”とかですね。
”声優さんを応援する”構図ができているのは、本分である「映像に声を当てる」「ナレーションする」から少し飛び出た活動が多いというのもあるのかもしれないです。

 

 

そんなこんなで。
極端な話、ファンであっても別に応援しない、観測し続けて自分で満足するという選択肢もあると思うのです。
”プロの仕事を堪能する”という意味では、それは間違いだとは絶対に言えなくて、ある種正しくもある。

ファンであることと応援が一致しているというのは、いわば”応援と掛け合わせることができている”ということなんだと思います。

応援するのが疲れてきたという人もちらほら見かけますし、かなりいると思います。
ただ、そのときは”最初の想い”に戻ってですね。
『私がこの人を好きになったのは何が理由だったんだろう』に素直にもう一度触れることで、もしかするとファンでいるという状態を再認識できて、少し動き方が変わってくるかもしれません。

 

 

 

つらつらと書き連ねてきましたが、まあこんなところで。

「予定どおりイベントに行けるかな」の向こう側

みなさんがイベントに参加するために移動している様子を横目に仕事に追われていたら、『私も仕事です』という人が結構いて、「土日働いてる人もそりゃいるよなあ」と改めて感じました。

 

私なんかは、「お前いつでも現場にいるよな」の、いわゆる”おまいつ”と捉えられることもあるのですが、土日に仕事することもそこそこあったりして。
そんな生活が、わりと2ケタ年単位で続いていたりします。

 

なので、お目当てのイベントに行けるかどうかは、わりとヒヤヒヤだったりします。
なんだかんだで行けているようにも見られるのですが、密やかに参加を断念したイベントが、いくつかあります。
自分の中で、納得はしないけど割り切ったので大きく騒いでいないだけで。
きっと、とても大切にしていたイベントがそうなったらわめき散らしていると思いますが(笑)、その日はきっとどこかで訪れてしまうんだろうなとも思っています。

 

こんなような話をすると、
「参加できるような仕事に就けばいい」
「東京に移住すればいい」
「つまんないことはやめちゃえ!(BOUNCING SMILE!)」
といった声が、冗談めかしながら聞こえてきて。
それはある意味でストレートな選択肢なので、意見を闘わそうなんてつもりはないのですが、それを誰かに言ったとしてその責任は取れないなあと思ったりもして。

それに、なんだかんだいっても、どれだけ回りから見て一目置かれるようなくらい入れ込んでいる人だったとしても、しっかり仕事していたりするんですよね。
むしろ、くっそ忙しい中でなんとか時間を捻出してイベントに参加していて、
「なんでそんなにバイタリティあるんですか!」
「どうしてそこまで頑張るんですか!」
という人、けっこう多い気がします。

 

本当に何気ないきっかけでしたが、みんながみんな土日が休みなわけでもなく、色々頑張りながら楽しみを目指しているのがわかって。
ややもすると「なんで自分だけこんな・・・」に陥りそうな思考が、少し救われたような、そんな感じもあります。

 

 

イベントに参加すること、そこで楽しむこと、その中で誰かを応援するということ。
これってやっぱり、色々なバランスの上に成り立っていることなんだと思います。
例えば、仕事を辞めてイベントだけに振り切ったら熱が更に上がるかというと、きっとそうではない。
仕事でガーッと頑張って、そのエネルギーがイベントにそのまま向けられたりだって、きっとあるはずです。

 

とはいえ、こういうのは心の持ちようでもあります。
仕事が忙しいからイベントにはいけないな・・・と考えていると、きっとイベントに行かない方を選んでしまいがちになる。

なのでそのあたりは、常々すげー行動力だなと思っている身近な人が言っていた

「推しの出演するイベントにはできるだけ現地にいたい」

という姿勢を私も見習いながら、これからもアグレッシブにイベントに参加していきたいです。

とりとめもなく話がころころ変わる雑筆

大きな行事が一段落したので、とりとめもなく筆を進めています。
そういえば、今年はブログを書いていませんでしたから、遅ればせながら初エントリになりますね。
今年もよろしくお願いいたします。

ほんとうは、興味のある人しか見ないこちらに書いたほうがいいことも多いのですが、気軽さに負けてツイッターのほうでこぼれ出てしまっていたりもして、あちゃーと思う今日この頃です。
その辺はまあ人ができていないということで一つ。

 

最近は、本当に好きな趣味に触れ、好きなものを好きと言えているなあと感じます。
このブログを振り返ると、「ファン活動とはなにか」を突き詰めてきた様相すら呈していたりしますが。
結局のところは、自分自身で何度も書いていたことで、、ある意味自分自身に『言い聞かせて』いたのかもしれないのですが。
”こちらとあちらがちゃんとキャッチボールができる状態で、自分に無理のない形で応援する”
ということに尽きるんだろうなと思っているところです。
このバランスが崩れると、一気に辛くなる。

 

「推し活」「推し事」という言葉が日常的に使われるようになった令和。
ファン活動の種類も、かなり多いですよね。
多岐に渡っていて、しかもその大半がプラスに働くものです。
なので、常に目移りするし、『自分の行っている行動は正しいか』というのは気になるものです。

でも、このあたりはやはり初心にかえるのが大事で。
その人や対象をなぜ好きになったかということを中心に添えて、いいものはいいですよ!と言う。
それを押し付けにならない程度に言葉にする、感想にする。
そして相手になにかできる機会があったら、無理のない範囲でやってみる。
それで上手くいったなと思ったら続ければいいし、ちょっと難色を示されたかなと思ったらやめてみる。
たぶん、そのくらいの感じでいいんだと思います。

私なんかも、奇をてらったことをすごい数やっているように見られることもありますが、ほぼほぼ、過去の「応援に熱心な人」を真似てやっていることばかりです。

 

私は、”人”を応援しているタイプの人間ですが、その場合はどうしても「応援している人がかかわるお仕事」との付き合い方というのが、悩みどころというか考えどころとして出てきます。
現状では、理想的なお仕事に出会ってくれているなと感じるのですが、応援している人が、応援したいお仕事をシているかどう買って、一致しないことも多くて。
一致していることのほうが珍しくて稀有なのではないかと、最近は思うようになりました。

でも、この一致していることの幸せって、そのときはわからないんですよね。
逆に、そこが一致していない人は、それが当たり前の日常だと思って、常に少しの不満みたいなものを言うのが状態化している。

あんまり意識しないというか、多分意識するところまで神経使って趣味やりたくないみたいなところもあるのでしないんだと思いますけれども、でもそのあたりを少し頭に置きながら改めて向き合ってみると、見えていなかったところが見えてきたりもするのかもしれません。

 

 

なんでもそうですが、人生は一期一会です。
全く同じ状態の瞬間は二度と存在しないし、万物は流転し続けるというように関係性も変わり続けます。
推しも推しのままでいてほしいし、そのまま天下を取ってほしいと思ったりもしますが、多分それは綺麗事で。
あなたも、わたしも、常に変わりながら、変わり続けながら今ここに存在していて、関わり続けている。

そんな中で、応援する側とされる側かもしれないし、同じ趣味を持つ仲間なのかもしれないですけれども、お互いに変わり続けながら、少しずつ関わり方も変わりながら、それでもずっと関わり続けていけるとしたら、それは素敵なことなんじゃないか、と思っています。

 

そんな、少しはまとまったかなというところで、テーマがあるようでないようなテキストを書き終わりたいと思います。
お疲れさまです。

にーぜろにーさんお疲れ様会

みなさーん、にーぜろ・・・にーさんです!

(明らかに何らかのコンテンツに強く影響を受けた顔つき)

 

というわけで年末恒例の一年振り返りをば。

 

今年は、応援している声優の七海こころさんが飛躍した年でもありました。
もちろん、元々『実力がある』という話をしていたとおりで、それが”しっかり評価された”というのが正しいところかなと思うのですが。
大きなコンテンツとしては、「Tokyo 7th シスターズ」に起用され、声優ガールズユニット「Ciel」としての活動もスタート。
数字ベースでは、出演するイベントがなんと3倍になりました。
ご本人の本心は推し量ることしか出来ませんが、ファンとしてはとても良い形で活躍の幅を広げてお仕事を増やしているように見えて、とても喜ばしいなと思っています。

 

今年のイベントの嬉しい誤算は、いわゆる”接近戦"と呼ばれるイベントの大幅増でした。
また、5月にコロナ制限が緩和されたことにより、全体的に応援する行為も復活し、”見える形での応援”をする機会がとても増えました。
去年うちわを作った延長線でうちわを新調したり、メッセージボードなどの小道具を持参したり。
1回こっきりのイベントならともかく、事あるごとに色々準備して上京した感じもしますね。

 

また、祝い花の解禁がされたのも嬉しいことでした。
こちらも事あるごとに準備させていただき、3つのお花を贈ることができました。
ご参加・ご協力いただいた皆さんや、制作・受け入れに携わっていただいた皆さんに、改めて御礼申し上げます。

 

応援している方がまさに右肩上がりに、順調に活躍していっているのに引っ張られる形で、個人的にもおおむね前向きに過ごせた一年だったかなと思います。
元々ネガティブというか、いろんなマイナスの可能性を潰してからでないと動けない性質なんですけどね。
今年はその勢いに引っ張られて、いい感じで前に足を出せたかなと思っています。

 

 

 

趣味にかなり振った一年でしたし、よく考えるとできなかったり、しなかったこともありました。
でも、何でもかんでもやろうとして、全方位で荒ぶる状態になってどっちつかずになるよりは良かったなと思いますし、かつてのように無理ができるわけでもないので、”身の丈に合ったエネルギーの振り分けが出来ていた”ということなのかなと思います。

 

さて、「来年は来年」ではありますが。
やっぱり、『これをやろう』と思っていないと、できることもできないなあと思ったので、やりたいことは早めにリストアップして、まず動いていくという所は大事にしていきたいと思います。
そして、いつもですが、まず”気持ち第一”ですね。

 

今年関わっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
来年も、なにとぞよろしくお願いいたします!

 

それでは、ごっさんでしたー!(何かが違う)

また来年。