つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

不定記(1):はじまりをはじめよう

最近、あまりにも文章を書いていなくてですね。
流石にまずいかなと思い、とりあえずキーボードを叩き始めました。

 

日記というか、取るに足らない文章は昔から書いてきたのもあって、『次にテキストを書くときはテーマに沿って書くことにしよう』と始めたのがこのブログ。
実際、数もそこそこ書いていたんです。

ところが、いつしか、”毎日書きたい症候群”に襲われるようになって。
毎日書きたい話題や、面白い出来事なんか起こるわけないじゃないですか。
そうなったらどうやってお題を捻出するかというと、自分の中にある考え方をこねくり回して表現することに行き着いてしまうんですね。

独りよがりの、誰も得しないテーマ。
いつのまにか、”面倒くさいテキスト”になっていました。

 

その呪縛は、ミューレ3期生の夏目ここなさんがイベントで発した
「毎日、『人生とは』みたいなメッセージが流れてくるログインボーナスは気が滅入る」
で一気にほどけて、そこで方針が変わりました。
この点については、今でも大感謝でございます。


ただ、薬は効きすぎると良さも損ねるもので。
2023年に書いた記事は24本。
今年は、もう半年が過ぎようとしていますが、5本。
書きたいことを厳選している、と言えば聞こえはいいですが。

テキストを書くのって、自転車なんです。
正確には、自転車操業ですね。
書かないとどんどん文章自体が書けなくなっていって、書けなくなると書く気力すら失われてくる。

これは、まずいぞと。

 

ということで、何か話題がなくても、言いたいことがなくても。
『書こう』と気が向いたときに、書こうかなと思って。

不定記」を始めることにしました。
更新は不定期です。
そんなの言わなくてもいいし、誰かに許諾を得るような話でもないですけどね。

 

とりあえず、始めますというお話でした。

20年越しで『CLANNADの菜の花畑』に行ってきた(CLANNAD聖地巡礼・陸奥横浜編)

CLANNADの菜の花畑まで行ってきました!

物語が感動を呼ぶ”泣きゲー”の金字塔として2000年代に発表された作品、CLANNAD
アニメ化もされ、更にファン層も広がったことで、今となっては”国民的作品になった”と言っても過言ではありません。

物語終盤の"AFTER STORY"で、とても重要な場面になる舞台が、この“菜の花畑”でした。

菜の花畑については、原作であるゲームの時点から(確か)登場していましたが、アニメで詳細な場所が描写され、モチーフとして、青森県にあるJR陸奥横浜駅が描かれたことで、場所が推定されました。

思い入れのある作品でしたし、わかってからすぐに行きたかった。
でも、菜の花の咲く時期って、限られるんです。
開花が遅い青森は、GWが終わった後の、5月中下旬が見ごろ。
GWの連休に重なればなあとは思いつつ、行けない日々が続いていました。

 

ところが、最近は開花の時期がどんどん早まり、実は去年はゴールデンウイークに菜の花が咲いたんです!
もしや今年も!と思って注視していたところ、去年より少し遅めだけどGWには咲いていそうとのこと。
これは!と思い、菜の花畑だけを目的に、ほぼ弾丸で行くことにしました。

 

JR陸奥横浜駅

作中でも登場する菜の花畑の最寄り駅。
今年の3月にリニューアルしたようですが、面影は全く変わっていなかったようで、登場した風景がほぼ残っていました。
リニューアルの記事を見ると、『アニメの聖地にもなっているので、これを生かしたい』という話を駅長さんがされていました。

駅には、同じように写真を撮る聖地巡礼の同好の士が何も言わずとも集結していました。
みんなマナーを守って、問題なく巡礼を楽しんでいました。

道の駅よこはま「菜の花プラザ」

菜の花畑に行くときに立ち寄るのに最適なのがこちらの道の駅。
写真をご覧のように、もうここが一つの観光地になっているほどのにぎわいでした。
陸奥横浜の地のものや、菜の花ドーナツ、菜花(なばな)ソフトクリームなどが食べられます。
CLANNADコラボは去年で終わり』とのことでしたが、オリジナルのキャラクター「なのは」が観光客をお出迎えしてくれていました。

菜の花大迷路


菜の花が咲いているエリアには、観光用の「大迷路」が用意されています。
日本国内だけでなく、おそらくCLANNADファンと思われる海外のお客さんが多かったですし、また子ども連れの旅行客もたくさんいて、現実と物語を、また時代を少しオーバーラップさせて、CLANNADの家族像も思い出しながら楽しませてもらいました。

この迷路は、咲く面積も形も毎年異なることもあって、聖地「そのもの」を見ているわけではないのですが、こうして観光客の受け入れ体制ができているのはとてもありがたいことです。

菜の花畑

菜の花畑と、その景色。
もう、アニメーションとの画角とか、そういうことは気になりませんでした。
この場所に来れて、よかったです。

落日

菜の花畑を光り輝く感じで映したかったので、夕焼けまで粘っていました。
おそらく地形の関係で、菜の花畑が夕焼けで真っ赤になるのは、おそらく取れなくて。
でもこんな写真も取れたので、大満足しています。

 

 

 

事あるごとに引き合いを出すくらい、CLANNADは大好きな作品なんです。
CLANNADは人生」というネットミームも、文字通り受け入れているくらいに。
だから、今回菜の花畑に行くことができたのは、うれしいことでした。

行く道すがらは、ずっとめちゃくちゃワクワクして。
同好の士を見かけたときの、泣きそうになる感じも。
現地に着いたときの、現実と物語の世界が混じり合うなんとも言えない感覚も。
名産品を食べたときの、実際の味に何か確実に足されたうまさも。
その地を離れるときの、満足感と物悲しさも。
すべて久しぶりの感覚で、それを蘇らせてくれた、とても行ってよかった旅でした。

たぶん、これってきっと、CLANNADの作中の登場人物たちも経験した感覚なんですよ。
20年後ですが、それを追体験できたような気もして、それもうれしかったです。

 

また、いろんな”聖地”を訪れたいですね。

 

参考にしたサイト

ありがとうございました!

セルフプロデュース

セルフプロデュースって、パワープレイだと思っていたんですよ。
自分の中で「こうしたい」という確固たるイメージがある。
それを様々な技能を持った人と意見を闘わせながら、時にはわがままを通したりして、自分のイメージ通りのものを作り上げていく。
実際、このスタイルの人もいると思いますし、そのくらいパワーが強くてストイックな人でないと、自身をプロデュースするのって、難しいと思っていたんですよね。
特に、役割を周りから与えられることが自然な世界では、なおさら。

 

ただ、それとは少しアプローチの異なるセルフプロデュースを目にすることがあって。

与えられた役割は縁もゆかりもないもので、その場所では自分中心のパワープレイができるわけでもないのでその枠組の中にはいるのだけれど。
その枠の中を自分色に染め上げて、自分の空間にしてしまう、というものでした。

少し前に流行した『置かれた場所で咲きなさい』のひとつではあるんですけれども、そういう咲き方も実際にあるんだな、と気付かされました。

 

今、トガれないじゃないですか。
表に出る人も、裏方だってそう。
尖ることは表面ではほんの一瞬、一刻だけチヤホヤされたりするけれど、後から考えてみたらよいことはなかったりする。
そんな雰囲気の中で、我が道を行くセルフプロデュースをできる人はすごいですし、精神的にも強いなあと思うし、無理はしすぎないでと思うものなんですけれども。
置かれた場所の中で個性を発揮するというセルフプロデュースもあるんですね。
長期的にみたときには、もしかすると、あまり禍根を残さずに「自分」という形を丁寧に作っていけるのはこちらなのかもしれないですね。

 

そんなことを思った今日この頃でした。

ファンであることと、応援と、最初の想い

『こういうのはファンが買い支えないとね』

確か、「げんしけん」にあったセリフだと思います。
私が読んでいたのは、高校とか大学の頃。
既にヲタクに片足を突っ込んでいた私も、趣味に使えるお金が潤沢であったわけではなく、この言葉もあまり深くは捉えていませんでした。

 

私が初めて明確に「この人のファンです」となったのは、CHEMISTRYでした。
ちょうど中学生の頃。
人というか、二人組ですからユニット・デュオですね。
飾った言い方をすれば、その音楽性に惹かれ、何年かはずっと聞いていました。

多感な時期だったこともあり、今でも初期2年くらいの曲はニュアンスを含めてそらで歌えますから、それだけ入れ込んでいたということでしょう。
周囲にも「私はCHEMISTRYのファンだ」と声高に宣言し続けていました。

ただ、ヒットチャートの順位は気になるものの、「一枚でも多くCDを買って、売上を一つでも上げよう」みたいな考え方はありませんでした。
もちろん、中学生でお金もないですしね。

その後、アニメ界隈でも「ハッピー☆マテリアルを1位にしよう運動」があったりしましたが、これも一種の”ネットの祭り”として捉えていましたし、その後に人気を博すAKBのような活動も、意識することはほぼありませんでした。

そう、「ファンである」ということと、「応援する」ことは一致ではなかったのです。

 

そもそも、例えばアーティストや、声優さんもそうですが、役割を求められて表舞台に立っている人は、”プロ”なわけです。
プロは与えられた役割をしっかりこなすことが仕事。
そう捉えると、それを「応援する」というのは、よく考えたら不思議なことでもあって。
たまにある、「頑張れー!はやめろ」みたいな話も、ここに通じるのかな、と思います。

 

そこから振り返ってみると、何かや誰かを応援するというのは、私の場合は同人活動に対する接し方がわりとそうでした。
もちろん私は何も作れないので、一般参加側。
コミティアなどで同人誌を発行している人に「活動がんばってください!」ということはよく言っていましたし、応援の意味での購入もしています。
マチュアの立場なら、「応援」ってわりとありえることだったなと、ふと思ったんですね。

ちなみに、私の「鶴舞雪」という今のハンドルネームも、同人誌の感想を書いて紹介する目的で生まれたものだったりします。
元々はペンネームだったんですね。

 

 

これはもう半分私のオタク語りなので、私の歴史を書いていきますけれども。
2017年くらいから、「応援」という言葉を発する頻度が増えていきました。
それも極端に。
コンセプトは良いけどまだまだ認知度が足りない、というコンテンツが当時はあって、それをもっと広めたいと思っていた時期でもあり。
声優さんを”個人”として好きになり始めた時期でもあちました。
君の名は。」も流行したりと、オタクに対する世間の風当たりが極端に弱まった事も手伝って、誰かのファンであるということを言いやすく、そこに「応援」という要素が組み込まれていったのだと思います。

 

ただ、ここで混同してはいけないなあと思うのは。
『誰かを応援することで救われることはあるのだけれど、
応援するためにファンになったわけじゃない』
ということなんですよね。
よし、この人を応援しよう!と決めて「私、ファンになります!」って。
たまにネタで見かけることはありますけれども、人間の感情ってたぶんそんなに単純じゃなくてですね。

私の場合、誰かを好きになって、ファンになるって、大体がパフォーマンスや振る舞いとかに圧倒されて好きになってるんですよ。

ステージ上でのアピールがぶっ刺さった。
音楽の表現力と魅せ方に魅入られた。
パフォーマンスは圧倒的なのに、砕ける部分がびっくりするほどユーザーフレンドリーでそのギャップにやられた。
器用かつ押しの強い表現力に射抜かれ、別の活動は日々救われる原動力になった。

誰かを応援しようとして好きになってるんじゃなくて、ちゃんと好きになった理由があって。
そこに何かの理由が掛け算されて「応援しよう」となっているんですよね。

"この才能はもっと広く知られるべきだ"とか、”こういう活動をしたいと言っているからそのチャンスを掴んでほしい”とか。
特にマルチタレント化が進む声優さんですから、本人が本来不得手としている活動に対して”頑張れ”とかですね。
”声優さんを応援する”構図ができているのは、本分である「映像に声を当てる」「ナレーションする」から少し飛び出た活動が多いというのもあるのかもしれないです。

 

 

そんなこんなで。
極端な話、ファンであっても別に応援しない、観測し続けて自分で満足するという選択肢もあると思うのです。
”プロの仕事を堪能する”という意味では、それは間違いだとは絶対に言えなくて、ある種正しくもある。

ファンであることと応援が一致しているというのは、いわば”応援と掛け合わせることができている”ということなんだと思います。

応援するのが疲れてきたという人もちらほら見かけますし、かなりいると思います。
ただ、そのときは”最初の想い”に戻ってですね。
『私がこの人を好きになったのは何が理由だったんだろう』に素直にもう一度触れることで、もしかするとファンでいるという状態を再認識できて、少し動き方が変わってくるかもしれません。

 

 

 

つらつらと書き連ねてきましたが、まあこんなところで。

「予定どおりイベントに行けるかな」の向こう側

みなさんがイベントに参加するために移動している様子を横目に仕事に追われていたら、『私も仕事です』という人が結構いて、「土日働いてる人もそりゃいるよなあ」と改めて感じました。

 

私なんかは、「お前いつでも現場にいるよな」の、いわゆる”おまいつ”と捉えられることもあるのですが、土日に仕事することもそこそこあったりして。
そんな生活が、わりと2ケタ年単位で続いていたりします。

 

なので、お目当てのイベントに行けるかどうかは、わりとヒヤヒヤだったりします。
なんだかんだで行けているようにも見られるのですが、密やかに参加を断念したイベントが、いくつかあります。
自分の中で、納得はしないけど割り切ったので大きく騒いでいないだけで。
きっと、とても大切にしていたイベントがそうなったらわめき散らしていると思いますが(笑)、その日はきっとどこかで訪れてしまうんだろうなとも思っています。

 

こんなような話をすると、
「参加できるような仕事に就けばいい」
「東京に移住すればいい」
「つまんないことはやめちゃえ!(BOUNCING SMILE!)」
といった声が、冗談めかしながら聞こえてきて。
それはある意味でストレートな選択肢なので、意見を闘わそうなんてつもりはないのですが、それを誰かに言ったとしてその責任は取れないなあと思ったりもして。

それに、なんだかんだいっても、どれだけ回りから見て一目置かれるようなくらい入れ込んでいる人だったとしても、しっかり仕事していたりするんですよね。
むしろ、くっそ忙しい中でなんとか時間を捻出してイベントに参加していて、
「なんでそんなにバイタリティあるんですか!」
「どうしてそこまで頑張るんですか!」
という人、けっこう多い気がします。

 

本当に何気ないきっかけでしたが、みんながみんな土日が休みなわけでもなく、色々頑張りながら楽しみを目指しているのがわかって。
ややもすると「なんで自分だけこんな・・・」に陥りそうな思考が、少し救われたような、そんな感じもあります。

 

 

イベントに参加すること、そこで楽しむこと、その中で誰かを応援するということ。
これってやっぱり、色々なバランスの上に成り立っていることなんだと思います。
例えば、仕事を辞めてイベントだけに振り切ったら熱が更に上がるかというと、きっとそうではない。
仕事でガーッと頑張って、そのエネルギーがイベントにそのまま向けられたりだって、きっとあるはずです。

 

とはいえ、こういうのは心の持ちようでもあります。
仕事が忙しいからイベントにはいけないな・・・と考えていると、きっとイベントに行かない方を選んでしまいがちになる。

なのでそのあたりは、常々すげー行動力だなと思っている身近な人が言っていた

「推しの出演するイベントにはできるだけ現地にいたい」

という姿勢を私も見習いながら、これからもアグレッシブにイベントに参加していきたいです。