今日は、『キャラクターと中の人の距離感』について書こうと思いました。
キャラクターがいるコンテンツでは、キャラクターと中の人の関係性って結構大きな要素で。
キャラクターと中の人は別なのか、はたまた中の人はキャラクターに憑依するのか。
その間を行ったり来たりしながら、最適な距離感を見つけていくんだろうなあと思っています。
とても骨の折れる、答えの出ない調整だと思います。本当にすごい。
近年は、『その人の声だとわからなかった』という、憑依型の演者さんも多くいます。
反面、最近はそこまででもなくなりましたが一時期の若本規夫さんのような『その人が演じている前提で見るキャラ』という存在もあって。
また、近年では、中の人がそのキャラクターとしてステージに立つことも増えて、その距離感の在り方も、更に変わってきた気がします。
個人的に印象的なのは、ラブライブ!のμ'sの『18人』という考え方。
ファイナル公演でそういったことが示唆されたはずです。
キャラクター9人がいる上で、演者がその隣に立っている、というような考え方でしょうか。
あとは、これは個人名を出してしまいますが、田野アサミさんの
『○○(役名)こと、田野アサミでした!』
というもの。
言い方ひとつなんですが、なんだかいいですよね。
また、同じ大きなコンテンツの中でも、A、B、Cという路線が違う作品があったとして、その間でも距離感が違う。
かたや中の人を押し出してアーティスティックな反面、もう片方では演者がそのキャラクターに成り代わっている。
色々なマーケティングの結果だとは思うのですが、こんな違いがあるんや、と思ったりしました。
また、その距離感は不変ではなかったりもします。
最初の頃は、中の人の人気先行で始まったコンテンツが、成熟期を経て、中の人を強く押し出す必要性が薄まり、キャラクターのほうに寄りはじめる。
この辺りも、見ていてなかなか興味深くて、コンテンツも生き物なんだなあと感じさせられます。
いくつか見てきましたが、本当に多様な捉え方があって、興味深いですよね。
こういった距離感は、キャラクターコンテンツに限った話ではなくて。
そのままではないのですが、テレビ番組の「内輪受け」というのも、画面に出てくる内容以外の部分で、スタッフトークみたいな要素が組み込まれるということになりますから、近い話じゃないかと思います。
あとは、小説家が本人の情報を出さないとかですかね。少し違うかもですが。
一概に、どれがいい悪いではなく、それぞれのコンテンツに適切な距離感があるんだなあと感じています。
中の人を押し出しているからこそ上手くいくときもある。
完全にキャラクターとして振る舞っているからこそ見せられる景色もある。
いずれにしても、その”職人技”を、真っ直ぐに受け取って楽しめたらいいなあと思いました。