つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

着任日初日に

環境が変わりました。
これからは”土日は週末都民になってイベントに参加する人”ではなくなります。
ご承知おきをば。

 

・・・いや、そんな暮らし、一年以上できていませんけどね。

 

というわけで、ガラッと変わった生活がスタートです。
自分がこの場所にいるということが、なんとも不思議な感じです。
仕事で来ることになるとは思わなかった。

実際に全貌が分かっていくのはこれからですが、ちゃんとタイミングと塩梅をはかっていけば、うまくできることがあるかもしれないし、なにかできるかもしれません。
普通の仕事って、そんな前向きさとか、わくわく感って持てなかったりするんですよ。
それが持てるところに送ってもらえたのは、有り難いなと思います。

その分、自分ができることはフルパワーでやっていきたいと思います。

 

勤務のサイクルが変わることは、もうこれはしょうがないですよね。
仕事をしないわけにはいきませんし、遅かれ早かれこうはなったでしょう。
ただ、まったく休めないわけではないので、イベントに優先順位を付けて判断していけば、完全なる不満にはならないはずです。

やりがいが持てるものがひとつ増えたことで、もう一つのウエイトは下がるように見えるかもしれません。
でも、自分の道で成果や実績を出していくことも、ある意味恩返し的なところもあるんだと私は思ってます。
(ちょっと何言ってるかわからない)

 

少し変わるかもしれませんが、どうぞよしなに。

ReBoot

今の仕事に一段落付けることができました。
明日からは別の場所で頑張ることになります。

 

環境が変わることが分かってから、自分なりに調べて。
いっときは”意外と変わらないんじゃないか”とも思ったのですが。
その後、冷静に考えてみると、そんなわけがないなというのもわかってきて。

仕事もやりたい仕事をやって、趣味の分野も今まで通り満喫できて・・・
そんなに甘いわけがないんですね。

私は、”好きなこと”にものすごく没頭するタイプですし、そのために生きてきた”趣味人”でもあります。
でも、これからの仕事も、自分がやりたかったことで。
そこで何か成し遂げたい、少し携わりたいという想いも、これまた本当で。
不安含みではあるけど、今はそちらに向けて、集中して取り組みたい。
それが偽らざる想いです。

数奇な経路を辿ってきた私が、また普通に生きていてはできなそうなことに携われることになった。
それは、どれだけレアで、またありがたいことか。

 

明日からは、少し別の世界に足を踏み入れます。
数年ぶりですね、前向きにクリエイトできそうな職場は。
私は暴走しがちなので、まずはそこを押さえながらも、溶け込んでいくことをして。
行けるなと思ったら、私らしい変なアイディアをぶち込んでいこうと思っています。

その意味もあっての”リブート”。
再起動って意味ですが、再びブースターに火を付けるって感じが近いです。
あんまり大言壮語は吐かず、地道に色々積み上げて。
その成果がもし、皆さんの前にお披露目できることになったら嬉しいな、と思っています。

目まぐるしく変わる世界のなかで

自らを取り巻く環境が目まぐるしく変わっているのを肌で実感するようになって、色々なことを考えるようになりました。
突き詰めて考えなければならなくなった、というのが正直なところでしょうか。

近年の私は、確実に趣味と共にありました。
私を定義するとしたら、そのほとんどが趣味絡み。
傍から見ている人にとっては、”趣味人”のように見えたかもしれません。

しかし、2020年の一年があって。
更に今度は私自身の環境も変わり、変化が加速していく感じさえしています。

 

こうやって、言葉にすることは出来るんだろうな、と思います。
どんな状況でもそれは出来てきたから、たぶんこれまでも。

しかし、今度はおそらく、”現場”に触れる機会が減っていく。
”現地”を訪れる機会も減っていく。

そうなった場合、『頭でっかち』になることが、『机の上だけで考える人』になることが、とても怖いなと思っています。
私の場合、そこでこじらすことが多いので、なおさら。

 

ヒトは社会的な生き物だから、人と人との関係性で成り立っています。
物事を優劣とか、上下で考えるのも、変な話ではありません。
隣の芝生は青いし、上を見ればキリがない。

ただ、それで一喜一憂したり、悩んだりするのは損で。
そこにある本質が、自分の根っこの部分にある本当の気持ちが、大事なんですよね。

そのことを忘れなければ、きっと物事は好転する。
そんな気がします。

 

賢い者が得をする世の中ですけど。
そしてそれはその人が努力したからこそある姿なので、それを否定はしないですけど。

たぶん、地道に積み上げた、ど真ん中の重い直球が意味を成す日は、きっと来る。

それは、傍から見たら笑われるかもしれません。
ばかだなーって思われるかもしれません。

でも、そんなのは気にすることじゃなくて。
届くべき人に、真っ直ぐ届いてくれれば、あとはいいんです。

 

あわただしい中にいると、大事なことを忘れそうになります。
使い古された言い回しですが、『忙しいと人は心をなくす』。
ただ、忙しいからこそ、使える時間が少ないからこそ、取捨選択を重ねていって、大事なものが残る、ということもあるかもしれない。

そんなことを思った今日この頃でした。

あの花と10 YEARS AFTER

「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」の10周年イベントが開催されることが、本日発表されました。

 

10th.anohana.jp

 

 

「あの花」から、10年。
当時の私を振り返ると、あまりいい人生は送っていませんでしたね。

人生って何だろうなと思いながら、なんとか命からがら生きていて。
当時もオタク(ヲタク)でしたから、様々な作品を摂取して、それで命を長らえている状態で。
しかし、当時のヲタクはそこまで市民権がなく、日向の陰に隠れながらこそこそと過ごしていました。

そんな時に、支えになってくれたアニメの一つが、あの花でした。

「青春群像劇」と言ってしまえば、そうなのかもしれません。
似たような作品がないかと言えば、ないわけではないと思う。
ただ、あの時期に、確実にじんたんはいたし、めんまもいたし、あなるも、ゆきあつも、つるこも、ぽっぽも、みんなそこにいた。
そして、彼らの物語が、見ている大勢の人の心を動かして、一大ムーブメントを巻き起こした。
これは、まぎれもない真実です。

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あれから10年後、自分はどうなったでしょうか。
少しは丸くなったでしょうか。
それはほかの人に評価してもらわないとわからないですけれど。

確実に言えることは、あの頃より確実に今のほうが、楽しく生きられているということ。

 

今になっても、涙が出てくる「あの花」。
映画も見に行って、最初から最後まで泣き続けた思い出も。
あのエンディングは間違いなくトゥルーエンドだと思っていますし、決して悔し涙ではないのだけれど。

あの花は、私から大量の涙を奪っていくと同時に、生まれ育った土地の不思議な魅力だとか、人と人とのつながりの温かさだとか、何かに向かってがむしゃらに立ち向かう大事さだとか、成長することの重要さだとか、ぼーっとしていると過ぎ去ってしまう”今”という一瞬の大切さだとか、とても大切なものをいくつも、いくつももらいました。

 

10年後の8月、きっとイベントが行われるだけではないでしょう。
また超平和バスターズに会えることをうれしく思います。

 

超平和バスターズはずっとなかよし。

ウマ娘の最初のファン数が1人な理由

ウマ娘ですが、リリースからけっこう時間が経った今も、自分のペースで楽しめています。
コンテンツ自体が、競馬という競技へのリスペクトが溢れていることや、ゲームシステムがよく考えられているのも理由でしょうか。
一過性のブームじゃなく、これは確実に生活に食い込んでくるゲームですね。

 

で、今日の内容は、もうタイトルで答えが出ているような感じではありますが。
ウマ娘を育成する中で、【ファン数】という基準があります。
ファンの数を増やすことで、出られるレースが増えたり、ファンの数自体がストーリーを進めるハードルになっていて、場合によっては、ファン数に応じて発生するイベントなどもあったりします。

で、最初のファンの人数って何人から始まるのかというと、1人から始まるんですよ。
どんなウマ娘を育てても、最初は1人から。

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この1人は誰か。

トレーナーなんですよね。
このウマ娘を育てようと思ったトレーナー。
つまり、プレイヤーである私たち

トレーナーは、ウマ娘を育てていく指導者でありながら、そのウマ娘を大舞台に引き上げたいと思った人物であるはずで。
何も感情がなければ、そういう行動に移さない。
だから、トレーナーは、最初のファンでもあるんです。

ゲームとしては、ファンは0人からでもよかった。
それを、あえて1人としている。
そこに、このゲームのウマ娘といういちキャラクターへの愛情が感じられました。

 

 

なお、これはどこかで明言されていたわけではない、個人的な考察です。
『自分自身がファン』という考え方もあるなとは思いましたが、ファン数というものは自分で決められるものではなく、外から見ての評価だなと捉えたので、おそらくトレーナーであろうと思っております。