大きな行事が一段落したので、とりとめもなく筆を進めています。
そういえば、今年はブログを書いていませんでしたから、遅ればせながら初エントリになりますね。
今年もよろしくお願いいたします。
ほんとうは、興味のある人しか見ないこちらに書いたほうがいいことも多いのですが、気軽さに負けてツイッターのほうでこぼれ出てしまっていたりもして、あちゃーと思う今日この頃です。
その辺はまあ人ができていないということで一つ。
最近は、本当に好きな趣味に触れ、好きなものを好きと言えているなあと感じます。
このブログを振り返ると、「ファン活動とはなにか」を突き詰めてきた様相すら呈していたりしますが。
結局のところは、自分自身で何度も書いていたことで、、ある意味自分自身に『言い聞かせて』いたのかもしれないのですが。
”こちらとあちらがちゃんとキャッチボールができる状態で、自分に無理のない形で応援する”
ということに尽きるんだろうなと思っているところです。
このバランスが崩れると、一気に辛くなる。
「推し活」「推し事」という言葉が日常的に使われるようになった令和。
ファン活動の種類も、かなり多いですよね。
多岐に渡っていて、しかもその大半がプラスに働くものです。
なので、常に目移りするし、『自分の行っている行動は正しいか』というのは気になるものです。
でも、このあたりはやはり初心にかえるのが大事で。
その人や対象をなぜ好きになったかということを中心に添えて、いいものはいいですよ!と言う。
それを押し付けにならない程度に言葉にする、感想にする。
そして相手になにかできる機会があったら、無理のない範囲でやってみる。
それで上手くいったなと思ったら続ければいいし、ちょっと難色を示されたかなと思ったらやめてみる。
たぶん、そのくらいの感じでいいんだと思います。
私なんかも、奇をてらったことをすごい数やっているように見られることもありますが、ほぼほぼ、過去の「応援に熱心な人」を真似てやっていることばかりです。
私は、”人”を応援しているタイプの人間ですが、その場合はどうしても「応援している人がかかわるお仕事」との付き合い方というのが、悩みどころというか考えどころとして出てきます。
現状では、理想的なお仕事に出会ってくれているなと感じるのですが、応援している人が、応援したいお仕事をシているかどう買って、一致しないことも多くて。
一致していることのほうが珍しくて稀有なのではないかと、最近は思うようになりました。
でも、この一致していることの幸せって、そのときはわからないんですよね。
逆に、そこが一致していない人は、それが当たり前の日常だと思って、常に少しの不満みたいなものを言うのが状態化している。
あんまり意識しないというか、多分意識するところまで神経使って趣味やりたくないみたいなところもあるのでしないんだと思いますけれども、でもそのあたりを少し頭に置きながら改めて向き合ってみると、見えていなかったところが見えてきたりもするのかもしれません。
なんでもそうですが、人生は一期一会です。
全く同じ状態の瞬間は二度と存在しないし、万物は流転し続けるというように関係性も変わり続けます。
推しも推しのままでいてほしいし、そのまま天下を取ってほしいと思ったりもしますが、多分それは綺麗事で。
あなたも、わたしも、常に変わりながら、変わり続けながら今ここに存在していて、関わり続けている。
そんな中で、応援する側とされる側かもしれないし、同じ趣味を持つ仲間なのかもしれないですけれども、お互いに変わり続けながら、少しずつ関わり方も変わりながら、それでもずっと関わり続けていけるとしたら、それは素敵なことなんじゃないか、と思っています。
そんな、少しはまとまったかなというところで、テーマがあるようでないようなテキストを書き終わりたいと思います。
お疲れさまです。