つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

「推しを作りなよ」と言われる時代で

皆さんには、“推し”、いますか?
 
 
自己紹介のときに、「趣味」を話すことって、メジャーですよね。
でも、何を趣味として言うかは結構悩みどころで。
ネットサーフィンです!」と堂々と言うのも気が引けるし、そもそもそれは趣味なのかと言われると自分の中でハテナが浮かび、「ど、読書と音楽鑑賞です…」と答えるのが精一杯だった、そんな学生時代の記憶もあります。
 
今は、なんと「推しは誰ですか?」と聞かれる時代なんだそうです。
驚きというか、ある種の”恐怖”なのかもしれない。
昭和のアイドルブームに果てない夢を見て、平成のアイドルグループを通りすぎてきた私達は、いかなる分野でもアイドル、推しを求めるようになってきた。
世は大エゴサ時代ならぬ「大”推し”時代」なのです。
 
 
はたと考え込んでみると、推しを決めるのって、趣味を決めるよりも全然難しいなと感じます。
たぶん、比べられるもんじゃないくらい違うことで。
 
「趣味」というのは、それを自分がやったり、享受したりするものであって、その定義があまり変わることはないんですよね。
その反面、推しは生身の人間です。
キャラクターだったり、はたまた概念だったりすることもありますが、「萌え(本来の意味)」というワードもあったりしますのでそちらで考慮していただくとして。
人である以上、考えることも毎回同じじゃないし、考え方も変わる。
「とにかくかわいい」
「考え方が一貫していて揺るがない」
「パフォーマンスがすごい」
こういった賛辞をたくさん見るなかで、それが一生続くかと言うとその限りではなくて。
可愛いがカッコいいや綺麗に変容することがある。
考え方が変わることだってある。
パフォーマンスのベクトルが変わることだってある。
推しが持つ「定義」は、時や環境を経て、変わり続けていくものなのです。
 
もし、長い間“推し”という存在が変わらない、そういったケースがあるとしたら。
きっと、その関係性はずっと同じではないと思うんです。
こちらも、むこうも、変わり続けるなかで、一定の距離感の中で、コミュニケーションのラリーが続いている。
だからこそ、好きで居続けられる、興味や関心の対象であり続けられるのだと思います。
そんな関係性があるとしたら、素敵だなと思います。
 
 
推しは作ろうと思って作れるものじゃなくて、気づいたら推しになっている、そんな存在だと思うのです。
そして、人は変わり続ける、わたしもあなたも。
だから、その人をずっと好きでいられることのほうが、きっと難しいことで。
一度言霊にしたからといって、そこに縛られることはない。
今の自分の思いを大事にしながら。
関係性を、距離感を大事にしながら、ファンでいましょう、推し事をしましょう。
 
 
ストイックなファンじゃなくていい。
その代わり、応援しているその人をちゃんと見て、心からの応援を。
そんなファンが増えたらいいなと思います。