最近、自身の”推しごと遍歴”を振り返る機会がありまして。
私自身、ずっと一人の人を応援している単推しです!という一本筋が通っているわけでは決してなく、色々な人を応援しながら紆余曲折ここまで至ったのですけれども。
これ、共通しているなあと思ったのが、
「応援しなくなってしまったとき、必ずどこかで無理をしている」
ということでした。
一例を挙げていくと、こんな感じです。
- 行けるイベント全てに行こうとした。
- その人が関わる全てのことで何かの実績めいたものを残そうとした。
- イベントだけではなく、ネット媒体での配信も含めて全部網羅しようとした。
- 生活サイクルが違うのに深夜の配信を追いかけようとした。
もちろん遥か昔の話もありますが、わりと直近の話も正直あります。
その人のことを好きだと思い、応援したいと思っているときって、やっぱり熱暴走しかかってるんですよ。
その感情が間違っているなんてことは口が裂けても言えません、だってそれが本心なんですから。
ただ、それが行くところまで行ってしまうと、日常生活にまで多大な影響が出てしまうことがあります。
それが、いい状態かと言えば、決していい状態とは言えないんですよね。
最近見直した、声優・青木志貴さん(志貴君)の動画、「推し事について語ろうか」。
ここでは、ご本人もオタクである志貴君が、ファンの心情も理解しながら”推し事”について、推される側としての意見を率直に話してくれています。
その中で、
- 一気にお金をバッと使って消えてしまうファン
- 永くファンを続けてくれるファン
のどちらかを選択しろと言われたら、
- 細くていいから永くファンを続けてくれる方が嬉しい。
- 一気に資金を使い果たして力尽きてしまうくらいだったら、無理しなくていいからずっと応援してもらえたほうが嬉しい。
(青木志貴チャンネル 推し事について語ろうか。 - YouTube より)
というのが、志貴君の意見でした。
私はこの考え方がすとんと落ちて、納得したんですよね。
ここではわかりやすくお金の話が取り上げられていますが、”気持ちのキャパシティ”みたいなものも、同じだと思って。
一気に思いを託して、燃え尽きてしまうようであれば、細く永く、ずっとファンでいれたらいいなと。
私の場合も、おそらくお金というより、心のエネルギーとか、キャパシティが尽きてしまったんだろうな、と思います。
常に、100%のエネルギーで応援ができれば、それに越したことはないです。
それはもちろん理想。
ただ、それは理想であって、ある種の幻想であるとも思います。
私たちは、誰かを応援する立場である以上に、普段の生活があって、その生活は、簡単に変わってしまいます。
「んなことあるかい」と思っている人がガラッと環境が変わってしまうなんて、普通にあることで。
それこそ、コロナが流行して、ここまでイベントがなくなると思っていた人、いませんでしたよね。
そのように、環境はすぐに変わってしまうんです。
「推し活」って、志貴君も動画で言っているように、普段の生活があってこそなんですよ。
しっかりした土台があってこそ、推し活につなげられる。
だから、環境がガラッと変わって、自分自身の土台がぐらっと揺らいでしまったときに推し活を続けられるかというと、それをやるのってものすごくエネルギーがいるんですよね。
そこで無理をしてしまうと、志貴君が言っているように消耗してしまって、長くファンではいられなくなってしまったりもするんです。(加筆)
応援の仕方は人それぞれですし、応援される側のスタンスもそれぞれなので、これをすべての人にそうあってほしいと願うわけではありません。
それこそ、”私をトップまで連れて行って!みんなの時間を全部頂戴”的なタイプもいるかもしれないですし、そのあたりは自由です。
ただ、そういったスタイルの応援がマスト(必須)ではないのであれば、自分自身の距離感や度合いを測りながら、『無理なく推す』ということをもっと大事にしてもいいんじゃないかな、と思いました。
少なくとも私は、何かで無理をして応援できなくなってしまうケースは、これからはできるだけ少なくしたい、と思いました。
最後に、私は三木プロの回し者でも何でもないのですが(笑)、志貴君の該当の動画を貼っておきますので、少し気になった人は、ぜひご覧ください。
ほんとうに大事な考え方がここにある、かもしれません。