つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

単推しの話

単推しとかDDという定義の話は、いつか書きたいなとは思っていたのですが。
しっかり書くと鈍重な内容になってしまうので、なかなか踏ん切りが付かなかったんですよね。

 ところが、今日の「夕実&梨沙のラフストーリーは突然に」で、種ちゃんこと種田梨沙さんが
「単推しはやめな?」

「信用できない言葉・・・『ずっと!一生応援してます』」
といったトークを、多少のコミカルさも入れながら話していたので、これに乗っかって余り重くならないように書いてみようかなと思います。

すかさず補足を入れさせていただきますが、これを真顔で話されていたわけではなくてですね。
それぞれ続きというか捕捉がありまして。

「単推しは絶対に守れないからやめな?
 いつか嘘になっちゃうから

「信用できない言葉・・・ 『ずっと!一生応援してます』
 ”一生応援している”ということは、応援しなくなったとき、君は・・・どうなっちゃうんだい?

という、ファンへの心配からの言葉だったんですね。

人は推し変をする可能性が、絶対にある。
一生他の人を見ないことがどれだけできるんだろうか。
つまり、『単推し』とか『一生応援する』という言葉を、そのまま捉えてしまうと、あとで絶対に矛盾になってしまうんです。
それは、10年とかのスパンじゃなくて、一生70年、80年分を考えてこその感覚で。
声優さんは言葉を大事にするお仕事だから、それは尚更感じるのかなと私は思いました。

 

”単推し”っていうのにも、広い見方(広義)と、狭い見方(狭義)があって。 
私は、単推しという人は滅多に存在しないだろうなと思っているのですが、それはやっぱり狭義で捉えているからなんです。

そう考えたときに、一生推すとは言えないし、狭義の単推しの定義はつまり
同業他者を全て否定する
になってしまう。
おそらく、”単推しです!”と仰る多くの人は、広義の単推しなんだと思うんです。
それなら他の人を見たっていいわけで、問題は全く生じない。

ただ、そこで『単推し』ということで、どのくらいのチューニングでの単推しなのかが判断はしかねるので、『箱推しですと言ってもらったほうがいい』という結論に繋がったのかな、と思いました。

『推し増しはどんどんしていいし、箱推しでいい』と、種ちゃん。
『推すことは義務になっちゃいけない』と、ゆみたさん。
これはファンの側からしたら、とても有り難いことなんですよね。
たぶん、色々なこれまで見てきたものを踏まえての、本心なんだと思うんです。

瞬間最大出力の推しは長続きしないし、本当に大切なのは捕捉長くファンでいてくれること。
推し疲れしないようにって言ってた声優さんもいましたね。

声優さんや、アイドルもそうですけど、推される側って、何か煌めくもの=タレントを必ず持って出てくるんです。
だから、同じような感じで出てきた違う人を好きにならないことがあり得ないかと言えば、ありえるわけで。
その可能性をゼロにして一人の人を応援できたとすれば、それは仏教の修行にも近いもののような感じさえします。

そして、そういった応援している人が、どんな世界にいるかも大事な話で。
彼ら、彼女らが居るのは、たった一人では何かを作り上げるのが極めて難しい世界なんですよね。
対話する相手も必要だし、共演する人も必要なわけで。
そんな中で、
「この人だけ応援しています!他の人はどうでも良いです」
と言ってしまったら、なんだこのファンは、となってしまう。
ただ、狭義の単推しって、それに近い感覚なんですよ。
だから”あり得ない”という話になってくるんだと思います。

もちろん、『私はこの人を応援しています』と一人の人を志すのはいいんだと思うんです。
ただ、その推し具合が狭く、狭くなっていって、他を認めねえ!みたいな話になって行ってしまうと、あんまりよくないですよと。
たとえば、その人がやっている活動の仲間や、コンテンツの人もひっくるめて応援しようとか。
そういった寛容の心も、大事なんじゃないかなあ、と思ったりします。

 

最後に、種田梨沙先生の有り難い名言を貼って結びとさせていただきます。

 

人生推し増しあり、推し変あり
(『夕実&梨沙のラフストーリーは突然に』2021年6月9日放送より)