つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

ファンであることと、応援と、最初の想い

『こういうのはファンが買い支えないとね』

確か、「げんしけん」にあったセリフだと思います。
私が読んでいたのは、高校とか大学の頃。
既にヲタクに片足を突っ込んでいた私も、趣味に使えるお金が潤沢であったわけではなく、この言葉もあまり深くは捉えていませんでした。

 

私が初めて明確に「この人のファンです」となったのは、CHEMISTRYでした。
ちょうど中学生の頃。
人というか、二人組ですからユニット・デュオですね。
飾った言い方をすれば、その音楽性に惹かれ、何年かはずっと聞いていました。

多感な時期だったこともあり、今でも初期2年くらいの曲はニュアンスを含めてそらで歌えますから、それだけ入れ込んでいたということでしょう。
周囲にも「私はCHEMISTRYのファンだ」と声高に宣言し続けていました。

ただ、ヒットチャートの順位は気になるものの、「一枚でも多くCDを買って、売上を一つでも上げよう」みたいな考え方はありませんでした。
もちろん、中学生でお金もないですしね。

その後、アニメ界隈でも「ハッピー☆マテリアルを1位にしよう運動」があったりしましたが、これも一種の”ネットの祭り”として捉えていましたし、その後に人気を博すAKBのような活動も、意識することはほぼありませんでした。

そう、「ファンである」ということと、「応援する」ことは一致ではなかったのです。

 

そもそも、例えばアーティストや、声優さんもそうですが、役割を求められて表舞台に立っている人は、”プロ”なわけです。
プロは与えられた役割をしっかりこなすことが仕事。
そう捉えると、それを「応援する」というのは、よく考えたら不思議なことでもあって。
たまにある、「頑張れー!はやめろ」みたいな話も、ここに通じるのかな、と思います。

 

そこから振り返ってみると、何かや誰かを応援するというのは、私の場合は同人活動に対する接し方がわりとそうでした。
もちろん私は何も作れないので、一般参加側。
コミティアなどで同人誌を発行している人に「活動がんばってください!」ということはよく言っていましたし、応援の意味での購入もしています。
マチュアの立場なら、「応援」ってわりとありえることだったなと、ふと思ったんですね。

ちなみに、私の「鶴舞雪」という今のハンドルネームも、同人誌の感想を書いて紹介する目的で生まれたものだったりします。
元々はペンネームだったんですね。

 

 

これはもう半分私のオタク語りなので、私の歴史を書いていきますけれども。
2017年くらいから、「応援」という言葉を発する頻度が増えていきました。
それも極端に。
コンセプトは良いけどまだまだ認知度が足りない、というコンテンツが当時はあって、それをもっと広めたいと思っていた時期でもあり。
声優さんを”個人”として好きになり始めた時期でもあちました。
君の名は。」も流行したりと、オタクに対する世間の風当たりが極端に弱まった事も手伝って、誰かのファンであるということを言いやすく、そこに「応援」という要素が組み込まれていったのだと思います。

 

ただ、ここで混同してはいけないなあと思うのは。
『誰かを応援することで救われることはあるのだけれど、
応援するためにファンになったわけじゃない』
ということなんですよね。
よし、この人を応援しよう!と決めて「私、ファンになります!」って。
たまにネタで見かけることはありますけれども、人間の感情ってたぶんそんなに単純じゃなくてですね。

私の場合、誰かを好きになって、ファンになるって、大体がパフォーマンスや振る舞いとかに圧倒されて好きになってるんですよ。

ステージ上でのアピールがぶっ刺さった。
音楽の表現力と魅せ方に魅入られた。
パフォーマンスは圧倒的なのに、砕ける部分がびっくりするほどユーザーフレンドリーでそのギャップにやられた。
器用かつ押しの強い表現力に射抜かれ、別の活動は日々救われる原動力になった。

誰かを応援しようとして好きになってるんじゃなくて、ちゃんと好きになった理由があって。
そこに何かの理由が掛け算されて「応援しよう」となっているんですよね。

"この才能はもっと広く知られるべきだ"とか、”こういう活動をしたいと言っているからそのチャンスを掴んでほしい”とか。
特にマルチタレント化が進む声優さんですから、本人が本来不得手としている活動に対して”頑張れ”とかですね。
”声優さんを応援する”構図ができているのは、本分である「映像に声を当てる」「ナレーションする」から少し飛び出た活動が多いというのもあるのかもしれないです。

 

 

そんなこんなで。
極端な話、ファンであっても別に応援しない、観測し続けて自分で満足するという選択肢もあると思うのです。
”プロの仕事を堪能する”という意味では、それは間違いだとは絶対に言えなくて、ある種正しくもある。

ファンであることと応援が一致しているというのは、いわば”応援と掛け合わせることができている”ということなんだと思います。

応援するのが疲れてきたという人もちらほら見かけますし、かなりいると思います。
ただ、そのときは”最初の想い”に戻ってですね。
『私がこの人を好きになったのは何が理由だったんだろう』に素直にもう一度触れることで、もしかするとファンでいるという状態を再認識できて、少し動き方が変わってくるかもしれません。

 

 

 

つらつらと書き連ねてきましたが、まあこんなところで。