つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

声優のアイドル要素についてなど

うーん、難しいですよね。このテーマ。
話題になっていたのが2週間前くらいで。
うーん、うーんと思っているうちにさらにいくつかニュースが入って。

周囲は、『今の声優はアイドル的な要素もあるからそこを否定しないで』という反応が多く。
その考えについては後で書きますが・・・
私、ロックよりもバラードのほうが好きなんですよ。
それに類する形で、というのが正解かわかりませんが、声優さんの基本定義としては「声のプロ」としての演技が最優先で、そこに付随してくるものがプラスアルファの魅力として評価される、という感じで捉えているんですよ。
なので、少し肩身が狭いなあとも感じていました。

 

ただ、それはある種の”きれいに整った見方”であって。
アイドル的な要素を持たざるをえない、むしろそれが声優のメインストリームだという意見、こちらもとてもよくわかるんです。
これは、声優さんの実際のお仕事を深く知れば知るほどそうで。

今、私たちがどんなきっかけで声優さんを知るかって、アニメじゃないんです。
アニメの特番、ゲームの特番、音楽活動、ライブ、イベント、ラジオや配信番組などのコンテンツ…
そういった、役者の本分とは少し違うと思われがちなところが圧倒的に多いんですね。
上で、いかにも優等生のような考え方を書いた私ですが、実際はここで上げたような、アニメやゲームなどの作品における演技以外の部分で知ってファンになったケースがほとんどです。
だから、その考え方も、同じようによくわかるんです。

 

少し前に、『役者はファンがいないと活動していけない』というツイートが話題になりました。

私もよく使うんですけど、声優さんって、”キャスト”なんですよ。
作品の大枠があって、社会の歯車と同じように必要な要素があって、それに最適な人を起用して、その役割を担ってもらう。
それが物語の世界であれば、”演じてもらう”ということになるんだと思います。

だから、自分以外の人見えるその”外見”って、誰かがその人に求めた役割の具現化でもあって。
その外見って、本人がどう考えるかだけではなく、作品がどうか、他の人との関係性ではどうか、事務所はどうかといった要素でガラッと変わってしまう。
本人がどうかの部分は、ものすごく少ないかもしれない。

本心では好きじゃないのに「これ好きです」といってやっていることがあるかもしれないんですね。
役者って、そうなんです。
個性を消して、その役に徹することがある種の本分で。
今のように、個性が立っていてそれが人気につながることのほうが、たぶんイレギュラー。
だから、ものすごく冷徹な言い方をしてしまえば、その人のパーソナルって見せられないはずなんです。
でも、ある意味見せられるように取り繕った、最低限の皮をかぶったパーソナルは出さざるをえない。
だからこその、「ファンがいないと生きていけない」で。
お約束ありき、プロレスの要素を含みながら。
そのうえでも応援したいと思うか、応援できると思うかが大事なんだろうと思います。

 

あとは、最近弊害が出てきている忙しすぎじゃないか問題。
声優って、アスリートにくくられると思うんですよね。
体が資本というところも、今のスタイルで売り出せる時期がある程度決まっていたりすることとか。
オーバーワークになり気味な人はいます。
その場合は、管理する側がしっかり管理する必要があるといいますか。
アスリートの中には、練習をしすぎてつぶれてしまう人もいて、練習をさせないのも管理側の役目と言われていたりします。
『声優は個人事業主』とはよく言われていることなんですけど、とはいえ事務所の名前でも把握されることがある昨今、やはりそこは事務所の方である程度はコントロールしてほしいなとは感じます。

 

 

表現者としてやりたいことをやってほしい』
『マイペースで』
『お体だけには気をつけて』
私が、いつも基本として考えていて、ことあるごとに言っている願望です。

もちろん、決めつけはできない。
無理するなだけでは成功できない。
そういうところは大前提として。
それでも、やはりこう願ってしまうんだ、というのは、あります。

好きになり方なんて正解はないし、応援のしかたなんてましてそうだし。
葛藤、コンフリクト、まだら、マーブル。
そんな感情がうずまきながら、ファンやっておりますけれども。
何かそれが少しでも、ほんの僅かでもプラスになったらいいな。
そんな祈りを持ちながら、これからもできることを模索していく、それしかないかな、と思っています。