つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

Lingua furanca.のあの頃に

2000年代の前半から中盤にかけて、”一つのサイトに複数の書き手がいる”というサイトが流行りました。
現存するサイトでいうと、デイリーポータルZとか、オモコロとかもそうでしょうか。
ただ、ある種の商業ベースには乗らずに、本当に趣味でテキストを書いているような人が集まったようなサイトがたくさんあった。
それが2000年代らしかったなあと、振り返ったりします。

dailyportalz.jp

omocoro.jp

 

ふと思い出したのは、「Lingua furanca.(リンガ フランカ)」というサイト。
このサイトは、当時の名だたる個人ニュースサイトの管理人や、テキストサイトの管理人が集まって、テーマごとに文章を書いていく、そんなサイトでした。

linguafuranca.blog97.fc2.com

この頃の私というと、この試みは面白そうだなあと思いながらも、ある種のやっかみ根性、プライドですね、みたいなのが持ち上がってしまい。
「話題としては取り上げるけれど、参加しない」
という、もどかしい立ち位置だったことを覚えています。

 

リンガフランカは、決して派手ではありませんでした。
テキストを書きたい人が、あまり画像とか、ビジュアルの力には頼らず、書きたいことをつらつらと書き綴る、そんな印象がありました。

どちらかというと、サイトリング的な要素が強かったのか、何年も続く企画にはなりませんでした。
ただ、名だたるテキスト書きが、ああいう形で集まって一つのサイトを形成していたのって、一つの成果だったな、と感じます。

 

時は移って2020年。
ルーツとしては2010年の後半から続いてますけど、今や書き手や媒体、母体はあまり気にされない時代になりました。
記事がバズる、投稿がバズる、ツイートがバズる。
ただ、そのサイトの人気は増えないし、投稿者のいいねやフォロワー数も増えない。
誰が言っているかではなく、中身そのものが読まれる時代になりました。

私にとっては・・・どうなんだろう。
それが住みやすいのか、そうではないのかは、今でもよくわかりません。
確かに、テキストで勝負していい内容だったら反響があるし、成果をいつも求められるわけではないから、プレッシャーはないし、やりやすいのかもしれない。
ただ、読者や常連の方が少ないというのも、味気なさを感じてしまうのもあって、正直なところよくわかりません。
ただ、その時代時代に合わせて、テキストを書くやり方を変えていくのも大事なんだろうな、とは思っています。

 

今や、たくさんの文才のある”普通の人”がたくさんいる、誰もがテキスト書きな時代で。
ブログ書き、テキスト書きの端くれを名乗りながら、周りを見ても、私が突出しているわけでは全然なくて、面白い文章書く人ばかりなんですね。

いつか、何人かの書き手が集まって、一つのブログなり、サイトなりを出来たら面白いかな。
令和の今それをやったら、また違うものが見えるのかもしれないな。
そんなことを、ふと思ったりしました。