つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

解像度のお話

「解像度」というと、どうしても写真や画像の画質のイメージが強く。
”表示の細かさ”なので、解像度=画質というのも実は正確ではないのですが。
デジカメの『〇〇万画素!』みたいな広告をよく見せられていた世代としては、多く栗でそんなイメージがあります。
他の用途としては、「推しを観ると視力が上がる」的な比喩で使われていたりして。

ただ、最近だとオタク文化圏で「解像度が上がる」「解像度が高い」という言い回しがあるみたいです。
これは
『(気になっている対象への)理解が深まる』
ことを表すもので。
具体的には、同じ行動をしてみたり、同じものを買ったり、同じ趣味に興味を持ったり・・・というもので、それは確かにファンにはよくあることだなあと感じます。

【参考】解像度が高い(かいぞうどがたかい)とは?(意味)~用語集|numan

 

さて、私の場合どうかな、と考えてみますと。
食べ物では嫌いなものってほとんどなくて、いわゆる「好き嫌いがあまりないタイプ」なのですが。
趣味や好みになりますと、毀誉褒貶・・・じゃないですけど、好き嫌い、得手不得手がはっきり分かれるタイプになります。
なので、例えば興味のある人に影響を受けて他のものを好きになるってこと、ある。
確かに、結構あるんですよ。
ただ、その人が好きと言っていたものを全部追ってはいなかったり、好きと言っているメジャーなものでもチェックするというのとはしていなかったりします。
どうしても、自分の感情に正直な性格してますのでね。
嫌いなものは嫌いと、興味ないものは興味ないと言ってしまう人柄なので。
そこは割り切っていますね。

ただ、食べ物ですとか、それこそ聖地巡礼といった、『その人が体験・経験したことを追体験したい』欲ってのは昔からあって、それこそ興味の対象の次元が一つ低かった(2Dってことです)時代から聖地巡礼って大好きだったので、そのジャンルは人に比べて思いが強いんだろうな、というところはあります。
だから”解像度が高い”わけではないんでしょうけどね。

 

解像度を高めたいというところはわかりながらも。
やっぱり、向こうから「今これを伝えたい」というものをしっかり受け取ることも大事だなと思うので。
まずその直球をしっかり受けることを第一にして、あとはサブにあるものも無理ない範囲で積み重ねていければいいかなあと思っています。