つるまうかく

群馬在住ヲタクのネット書斎

Tokyo 7th シスターズ 2053 2nd Live「Brightestar」感想 ~最高にキラッキラの星たち~

Tokyo 7th シスターズ」、”ナナシス”の新シリーズ、『2053』の2ndライブにあたるTokyo 7th シスターズ 2053 2nd Live Brightestar」に、両日参加してきました。

掛け値なしに”最高のライブ”で、2023年に参加したライブの中で間違いなく一番のライブだったと胸を張って言える、そんな素晴らしいライブでした!

 

私が「ナナシス」に初めて足を踏み入れたのは3rdライブからで、メモリアル武道館、4th、QoP1st、5thライブを現地で経験しています。
しかし、制作側の体制が変わっていったり、またコロナ禍もあって、ナナシスからは距離が開いていき、6th+7th+8thライブも、悩んだ末に行きませんでした。

ところが、今年に入って、応援している声優の七海こころさんが2053・RiPoPの恋渕カレン役に抜擢され、今度はカレンの支配人として出戻ってくることになりました。


2053の1stライブにも参加し、もちろん楽しかったのですが、”大舞台に立つのが初めて”という声優さんも多く、またこのときはコロナによる規制があったので、
「声援やコールアンドレスポンスなどができないので、固唾をのんで客席から見守る」
みたいな部分が、やはりありました。

 

そして迎えた2ndライブ。
1stのときからは状況が変わったこともあって、ただただライブを純粋に楽しみに待っていました。

DAY1とDAY2は分けては語れないので、ゴチャメチャにして書いていきます。

Asterline

2日間とも、トップバッターとして元気いっぱい飛び出してきたのはAsterline(アステルライン)。
アイ役の天希かのんさん、マイ役の星ノ谷しずくさんが元気たっぷりに自分のキャラクターをステージ上に顕現させると、シオネを演じる山田麻莉奈さんは控えめなキャラクターを表現しながらもご本人の経験からくるアイドル性を発揮。

この3人に共通するのは「ステージで楽しめる」と「客席にバチバチのレスポンスを返せる」というところ。
技術はもちろんのこと、”楽しさの醸成”というものは感情とか想いをそこに乗せこまないと客席にた伝わってこない部分ですが、3人は会場を初手で一気に沸かせるには充分かつ余りあるパフォーマンスを披露してくれました。

初披露にも関わらず、支配人の”燦(さん)!さん!ミライノート!”の大合唱が響き渡った「ミライノート」。
切なさたっぷりでノスタルジックな世界に誘う新曲「TSUBOMI et cetera」。
イントロで悲鳴が上がり、クラップで雰囲気が醸成された2日目「Time Machine」。
Asterlineのステージは、客席とステージでお互いに感情を交流させながら、相互で楽しさを加速させていくステージだと思います。
激しすぎる音楽ではないし、尖っているわけでもないけれど、その心地よさがちょうどいいエネルギーになる、まさにそんな形でした。

Roots.

次に登場するRoots.(ルーツ)は、まさに個性と重厚なステージで圧倒する”闘技場”。
タン・シヨン役の橘一花さんと、フラナ・リン役の長谷川玲奈さんが己の技量をいかんなく発揮し、ステージをRoots.の空間に塗り替える。
そして、ユウ役をまとった天野聡美さんが世界観に没入して息を飲み込ませ、圧倒的なパフォーマンスが完成する。

Roots.自体は、それぞれが他のコンテンツなどで既にかなりのキャリアを積んできていることもあり、1stの時点で相当な完成度を誇っていました。
ただ、後に垣間見えるのですが、この3人はチームとして一体になってストイックを突き詰め、特に”本来はそのキャラではない”はずの天野さんが特に、かなり入れ込んだ状態でこの2ndライブを迎えていることも伺えて、完成度にますます磨きがかかっていたように感じました。

コールが入りさらに強力になった「New Age」を筆頭に、新旧問わず所構わずに叩きつけられる逸曲の数々。
新譜の”問題作”(筆者が勝手に言っている)、「XOXO Pain(キスハグペイン)」の圧力には、やはり凄まじいものがありました。
存在としても強強だったRoots.が、客席の熱気も更に沸騰させ、熱くアツいライブシーンになりました。

RiPoP

で、Roots.がステージを荒らし回って空気感を掻っ攫った後に登場するのがRiPoP(リポップ)です。
普通こんなセトリは組まないし、焼け野原の後にやりたいグループなんてないはずなんですが、彼女たちはそれを”可愛さの暴力”で塗り替えた。
すごかったです。

2匹のクマ(後に「マカロンちゃん」と「ミントちゃん」というクマだとわかる)が押してきたおもちゃ箱から飛び出してきたのは、恋渕カレン役の七海こころさんと一ノ瀬ミオリ役の小茅楓さん。
ふたりとも新人がゆえ、1stライブを振り返ったときに「ガチガチだった」「何も覚えていない」と言っていました。
そんな彼女たちの顔には緊張の色はなく、自信に満ち溢れてました。

七海こころさんは、声楽で鍛えた歌唱力、びっくりされる声の演技の幅、安定して踊れるダンス技術、MCで素に戻る場面を除いて徹底的にカレンちゃんの姿を貫ける表現力・・・と、どの方向にも高い技術を持ち合わせており、かねてから”パフォーマンスは心配ない、後は空気に飲まれないかどうか”という不安点はそこだけでした。
1stの時点でも非常に安定したステージ運びを見せていたのですが、2ndになって、緊張で隠されていたであろう”真の実力”を遺憾なく発揮しました。
それこそ、わたしたちが見てきたステージでもまだコロナ禍だったわけですから、当人ももしかするとフルパワー中のフルパワーではなかったのかもしれません。
ちょっと、こちらが『わかっていた』はずのパフォーマンスを軽々塗り替えて足取り軽く上に登っていくような、そんなパフォーマンスでした。
こういった感想であれこれ言うのが失礼なぐらい、ものすっごく素敵なカレンちゃんでした。

そして、RiPoPを語る上で欠かせない、もちろん技術は長けている前提で、ステージ上でのコミックリリーフを担える逸材なのが小茅さんです。
またの名を「中学の頃からナナシスに親しみ、ついにステージ上に立った生え抜きの支配人」。
存在がまさにミオリにぴったりで、キャラクターとして掛け合いをするときのオトボケ感も絶妙で、またMCで会場を和ませたり、ステッキがすっぽ抜けてもその状態で最も楽しいを演出しながらステージを継続できるところなどは彼女の強みだと思いました。

一気にキュートでコミカルな世界観に誘い、ラストにはとんでもない転調の連続が待ち構えていて、みここの歌唱力も際立つ「ライフ・イズ・サーカス」。
2ndライブを通して盛り上がり曲に成長した「わがままSwing,Cutest!」。
ビターなサウンドで会場をノスタルジックかつセンチメンタルな雰囲気に飲み込んだ「キュート・アラモード」。
空からおっきな風船も降ってきて会場じゅうがゴチャメチャになった大人気曲、「ゴチャメチャ×ワンダーランド」。
RiPoPワールドは底しれませんでした。

 

RiPoPはいわゆる”かわいい枠”のハズだったんです。
でも、二人が今年一年で表現をものすごく磨き上げて、おそらく運営やスタッフ側もRiPoPで伝えたかったことをブラッシュアップして。
そこにコンテンツへの期待と、声出しで盛り上がれるという支配人の熱気も相まって。
RiPoPが、飛んではねて声を出して会場が一体になって盛り上がれるユニットになっていました。
あの光景は、今思い出しても涙腺が緩みます。

特に2日目は、二人がギアを一段どころか何段も一気に上げて、まさに”天元突破”の領域に至っていたように感じました。
本当に最高に可愛くて、最高に楽しいステージでした。

Stella MiNE

そして、最後はStella MiNE(すてらまいん)。
ここまで来ると、天希さんも天野さんも2ndに至るまでの成長を見てしまっているので、冷静な感想は浮かべられていない気もします。
「You & I=」をはじめ、1stライブよりもグレードアップした数々の曲はもちろんのこと、今回は
『ひらがなすてらまいん時代の曲なのでは』
と話題になった、明るく希望溢れる曲「Startrail」の音楽性が際立ちます。

2053における”レジェンド”としての立ち位置も担っている二人。
2053を牽引してきた責任感と、自信と、充実感が全身にみなぎったステージでした。

星の煌めき

そして、アンコール。
天希さんと天野さんが、一言ずつ、大切に言葉を紡いでいきます。
その言葉が、どこかで聞いたMCに被って、『まさか・・・』という思いが少しずつ大きくなります。
私は現地にいなかったけど、ナナシス1stで水瀬いのりさんが言っていたMCに、被ったんですよね。

 

今日の最後はこの曲で!
せーの!
「「「「「「「Star☆Glitter」」」」」」」

 

会場に響き渡る、支配人たちの大絶叫。

Star☆Glitterというのは、「Tokyo 7th シスターズ」という作品を語る上で、最も外せない曲です。
全てはこの曲から始まり、みんなが希望をもらい、道筋を示してくれて、救われて、今がある。
私自身も、本当に私事ですがこの曲に救われて今があります。

2053は、Star☆Glitterが歌われた”レジェンド”や2034年世界線とは、一線を画しているコンテンツとして進んできました。
関係性が少し匂わされるところもありながら、直接的な言及はなく。
2053は2053として、その道を進んできた。

でも、ナナスタはナナスタであって、その系譜が”ナナスタW”であることは確かで。
そこはしっかり結びつかなくてもいいけど、どこか繋がっていてほしい。
そう、そう思っていました。

思えば、開演前の影ナレも、2代目マネージャーになったモモカでしたね。

「Star☆Glitter」を、2053が歌う。
それも合同ライブではなく、単独ライブで。
もう、それで胸が一杯になってしまいました。

 

すっげえいいライブだった。

 

 

 

キャストとしてステージに立った声優さん、全員に言えることなんですけど。
1stのときと比べものにならないくらいのパフォーマンスだったと思います。
その違いは、技術力の純粋な向上なのかもしれません。
緊張や場数を払拭して、本来持っているスキルが発揮できたのかもしれません。
声出しや色々な制約が取っ払われたことで、生の現場のエネルギーが増幅できたのかもしれません。
理由はたくさんあると思うんですけど、一つ言えるはずなのは、
「このライブに向けて、とても真剣にストイックに取り組んできた」
ということなんだと思います。

みんな、アグレッシブでしたよね。
Asterlineは、整ったダンスよりも楽しさがより溢れ出るようなステージだった。
Roots.はとにかくエネルギーを、正も負もどちらのエネルギーもステージにぶつけた。
RiPoPは、究極に可愛いステージをやったはずなんだけど、客席はずっと跳んでた。
StellaMiNEは、剛柔併せ持ちながら確実に上がった自分たちのステージを実現した。

本当に、素晴らしいステージになっていました。
ライブで大事なことが、そこにはぎっしり詰め込まれていました。

 

バイバイカメラ

最後に、2日目のアンコール後の『バイバイカメラ』の話をさせてください。

ナナシスのライブでは、終演後に舞台裏に引っ込んでいく声優さんをスクリーンに映す「バイバイカメラ」という仕組みがあるのですが。
最後に、天希さんが待ち構えているところに、天野さんが全力で飛び込んで抱き合う場面が映し出されました。

この二人は、2053の柱です。
それだけ背負う重圧も大きかったでしょう。
天希さんも、小茅さんに負けず劣らずの生粋のナナシスファンで、このライブに懸ける想いはきっと強かった。
天野さんは、あれだけ多くのコンテンツに携わり、日常も絶対に忙しいはずなのに。
このライブに向けてものすごく力を入れていたことが、ステージを見ていて本当によくわかりました。

その二人が、ライブを無事終えて、お互いに称え合っているのが、とてもよくて。
本当にいいライブだったんだなと、重ねて感じた瞬間でした。


”2053”というコンテンツは、私自身も最初から飛びついていたわけではないですし、2034を結構通ってきている支配人でもあるので、そこを比較してあれこれ言ったりはしたくないのが正直なところです。
ただ、純粋に、このライブを、コンテンツを、もっと多くの人に向けて発信してほしい、見てほしいと思いました。
元々ファンのコンテンツだから薦めたいんじゃない。
応援している人が出ているから薦めたいんじゃないんです。
楽しいから薦めたい。

この物語が、音楽が、きっと誰かの力になる。

 

今のナナシスには、サブタイトルが付いています。
THE SKY’S THE LIMIT

その意味は、「限りない」「不可能はない」

 

これからも、ナナシス2053という星を追いかけていきたいです。

”楽しい”が同居する応援を

誰かや何かのファンとして行動するとき、『好きなら応援するよね?』といったスタンスを感じることがあります。
最近は「推し」や「推し活」といったワードが一般のものになったりと、そういう時代になってきたというのもありますが。

 

少し前を振り返ってみると、日常生活のバランスを崩しながら趣味に傾倒している人は”オタク”と呼ばれました。
正確には”ヲタク”表記だった気もしますがそれはさておき。
好きなことを「好き」と言うことだったり、自分の納得がいくまで突き詰めて調べるなんかは今でもそんなに変わらないと思うのですが。
「応援する」「宣伝する」
という点においては、今とだいぶ違うなと感じるところがあって。

好きなものを自分の範囲の外で必要以上に宣伝して回ることは、”ネット上の荒らし"のように捉えられたり、ただ目立ちたいだけの、当時のワードで言えば”イタい人”と見られて、煙たがられるような行動でもあったんです。
それは、ある意味オタクが一般の中に認められていった、容認されていったことともある意味連動するとは思うのですが、徐々に受け入れられていき、変なことという認識ではなくなりました。
重ね重ね、『時代』なんでしょうね。

 

何かを好きでいることが、応援することと直結するようになった今。
ややもすると、好きと応援のバランスを崩して、応援することが義務的なものになりつつあるような気がします。
それを肌で感じることもそこそこあります。

でも『自分がそうなっているな』と感じたときは、一呼吸おいて今の状況を冷静に見ることも必要なんだなあと思うんです。

 

私自身は、じつは「作品やコンテンツのオタク」です。
人を応援していたりもするけど、基本は作品やコンツのファンです。
作品を見て楽しみたい。
作品から感動を受け取りたい。
作品や曲に元気をもらって、自分の原動力にしたい。
それが、私がオタクにカテゴライズされるような生き方をしている、根っこの部分なんですよね。

だから、もちろん人も応援するけれども、応援すること自体が目的になってしまったら絶対にバランスを崩すと思っています。
たぶん、過去に何回か盛大に崩してるし、ちょこちょこ小規模の崩しもする。
誰かを応援するというか支えるということは、自分を自分で支えるべきエネルギーを誰かに流しているということなのかもしれません。

応援、楽しみましょ。
楽しめないと思ったら、周りを気にせずひと呼吸置きましょう。
それで誰かから責められることはないはずです。
もしそうだったとしたら、”そういう世界だった”というだけのことです。

 

最近は、だーっと書いたブログを見直す過程で
「や、これは外に出すべき文章じゃないな」
と思って結局更新しないことも多くなったんですけど、この文章はかなり荒いし適当だしまあ反感買うようなこともいっぱい書いてる気もするんですけれども、なんか熱がごっそり乗った感じになったので、あえて確認や推敲をせずにそのままスパッと投稿してみることにします。

 

誰かを応援することが、自分の人生をカラフルに色づけてくれる楽しいことでありますように。

 

 

それでは。

16bitセンセーションに泣かされた話

往年の美少女ゲームクリエイターが集まったアニメとして話題の「16bitセンセーション ANOTHER LAYER」。
舞台となった1992年よりもだいぶ後にネット文化・ヲタク文化に足を踏み入れた私ですが、とても慣れ親しんだ世界なこともあって、楽しみながら、懐かしさを感じながら見ています。

 

本当は気軽に、肩の力を抜いてみるべき作品なんだと思うんです。
でも、私は2話のとあるシーンに、感情をやられてしまいました。

 

美少女ゲームの未来に可能性を見いだせず、
美少女ゲームは、今は珍しいから売れてるけど、こんなのすぐに無くなる」
と吐き捨てる、プログラムが好きな少年。
それに対し、

「なくならないよ!」

と啖呵を切る主人公のコノハ。
そして、こう続けます。

「今にこのアキバは美少女であふれるんだよ!
ううん、アキバだけじゃない。

ゲームにも、アニメにも、マンガにも!
電車やバス、お米やお酒にだって!
美少女キャラでいーっぱいになるんだよ!」

「未来が美少女でいっぱいになったのは、美少女ゲームがあったからなんだよ!
 コノハみたいな痛いヲタも、美少女ゲームがあったおかげで、『こういう属性なんですよ、てへー』みたく変換して生きられるし、頑張れるんだよ!」

 

なんかですね、コノハのこの啖呵を聞いて、私は涙が止まりませんでした。

 

私がヲタクになったのは、1992年どころじゃなく、その10年以上後で、その頃はもうネットの時代だったけど。
その時って、美少女ゲームとかキャラクター趣味って、理解されなかったんです。
変わり者扱いされ、冷たい目で見られ、影に隠れざるを得なくて。
損得で考えたら、得はなかったかも知れない。
だから、ヲタクであることを隠した。
まさにそんな時代。

でも、美少女ゲームの持つパワーって、エネルギーってすごくて。
周りからどんな評価されても、その熱量は信じていて。
それが会ったからこそ、私は生きながらえることができたし、その後の人生にも大きな影響を受けています。
これは誇張でもなく、真実です。

 

あれから、何年が経ったか。
ヲタクが”オタク”として、こんなに一般化する未来が来るとは思わなかった。
何が好きかを大声で叫んでも煙たがられない、そんな時代が来るとは思わなかった。
奇跡なんか起きないけど、あるとすれば、まさに美少女が世界中にあふれているこの未来が成立したこと、まさにこれなんじゃないか、と思うのです。

 

16bitセンセーションは、あの頃を懐かしく思う人だけが見るべき作品じゃありません。
楽しく見れるはずだけど、きっとどこかに刺さる部分がある。

3話が始まる前に書きたいと思って、一気に書き上げました。
この文章が、誰かのきっかけになったら幸いです。

私とTrySailと「はなれない距離」

久しぶりに、TrySailのライブ「SuperBlooooom」に行ってきました。

前回参加したのが2021年の「Re Bon Voyage」だったので、実は2年ぶり。
それぞれの道でレベルアップを続け、まさに”スーパーブルーム(意味:砂漠一面に花が一斉に咲き誇る現象)”したTrySailが生み出すライブは、とても良かったです。

 

パッションで感じるライブだったので、大まかな感想になります。
参加した日が最終日ということもあり、トラセの三人からも”体力を余すことなく全力でパフォーマンスしよう”という思いが伝わってきて、ますます熱い、熱すぎる空間が生まれていました。

休む間もなく繰り出される楽曲の数々は、思わず体を動かしたくなる、飛びたくなる、声を出して会場と一体になりたくなる、そんな曲ばかり。
王道曲もあれば新曲もあり。
最新アルバムで特に聞きたかった「Mermaid」と「Etoile」が聞けたのはうれしかったですし、逆に彼女たちにとって大事な曲の一つである「ひかるカケラ」にまた出会えたのもこれもまた喜ばしいことで。

今回はステージの正反対にある後方席だったのですが、そのおかげで会場全体の演出がよく見えました。
とりわけ「Lapis」と「遥かな航海」の演出にとてもこだわりを感じて、歌との相乗効果で『すげえ』という感嘆が口を衝いて出るほどでした。

 

我らが天さん、雨宮天さんも、ビシッと決めるところはビシッと決め、ダイナミックに暴れるところは暴れ、という『そこそこ暴れるお姉さん』ぶりを見事に発揮し、これまで以上のパフォーマンスを見せてくれました。
特に、最後の最後のダブルアンコールの時に見せた、”ライブが楽しくて仕方がない”という表情と、体全体を使って会場に元気を届けるべく手を振り回すお馴染みのパフォーマンス、そしてステージ上を走り回ってその感動を表現する姿は、まさに”天ちゃんらしさ”がギュッと詰め込まれた振る舞いで、「だからまた会いに来たくなるんだよなあ」と思わされました。

 

ライブ終了直後の私の感想は、シンプルにこの一言でした。


「ただただ、楽しかった!」

 

 

 

 

最初に”2年ぶり”と書きました。
去年、確かにイベントが少なめだったこともあるのですが。

2019年に『青い沼』に落ちてから、私はそこそこ熱量のあるファンだった、と思います。
当時のツイートなんかを振り返ってみると「こんなに熱かった?」と言うくらい語っていますし、ほんの少し前面に出たファン活動をやっていたこともあるので、私の名前だけ知っている人もいるかもしれません。

ただ、ある時期から、一歩下がった感じで追うようになりました。
はっきりした理由は正直ありません。
後付けで理由をはめることはできるんですけれどもね。
あえて書くとすれば、「ファンは近くに居ないといけないと勘違いしていた」というところでしょうか。


そんな私が、久しぶりにトラセの現場にまた行って。
あまり気負わない感じでライブに臨んで出てきた感情は。
とにかく純粋な「楽しい」でした。

 

最近よく使う表現ですが、全体をガーッと”最前線で応援する”わけではなく。
自分にとって居心地のいい距離感で、イベントに参加する。
そんなフェーズに変わってきた、そういうことなんだと思います。

これが『はなれない距離』なのかもしれません。

 

 

近すぎて見えないものもある。

 

 

どんなに好きだった人やコンテンツでも、どんなに熱を上げた人やコンテンツであっても、熱が下がってしまえば、好きでなくなってしまえば、そこからバッタリ縁が切れてしまうことがあります。
むしろ、そのケースのほうが大半じゃないかと思います。

でも。
嫌いにならなければ。
燃え尽きてしまわなければ。
何かのきっかけでまた参加しようと思える。
ツアーをやっていたら1公演は行こうとか、一年に一回は顔を出そうとか、そう思える。

いつもいるファンでもなく、ガチ勢でもないかもしれないけど。
近すぎる距離でもなく。
”はなれない距離”で。

そのキョリ感でいることが大事だなと、まさにその曲を歌っているTrySail自身のライブを経て、改めて感じました。

 

 

ちなみに、私が”はなれない距離”だなと感じるのは、彼女たちの先輩に当たる「スフィア」です。
まさにそんな距離感。
ライブやイベントがあっても全通するわけではないし、ツアーでも1公演も行かないこともあります。
でも、ふとたまにライブに行きたくなって。
コロナ直前にやった全曲ライブ「全曲集合」は、なぜか私参加してるんですよ。
熱心なファンでもガチ勢でもないんですけどね。
でも、その距離感でいいなと思っています。
スフィアって2015年くらいからそんな感じ。

 

トラセもそうですし、今応援していたり、気にかけているコンテンツだったり、それこそ人であってもそうですが。
ゆくゆくはそういう距離感になって、末永く関わり続けられる、縁を持ち続けられる、そんな形になっていったら、理想的だなと。
今の私は、そう思っています。

 

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「普通」をすることの大切さ

プロ野球阪神タイガースが、18年ぶりにリーグ優勝をしました。
監督の岡田監督は、「普通の野球をした」ということをさかんに言っていて、当たり前のことを怠らない、地道な積み重ねが成果に繋がったのだと言われています。

”普通”というと、意外かもしれませんが、落合博満元監督が指揮を取っていた頃の中日ドラゴンズも同じようなもので。
開幕投手川崎憲次郎
「山井・岩瀬の継投ノーヒットノーラン
など奇抜な作戦のイメージはありますが、そういったドデカイ意表を突きながらも、基本に忠実な守り勝つ野球をやったからこそ長年の黄金時代が築かれたとされています。

こういった実際に実績を伴った結果を見ると、なおさら「普通って大事」だなと思います。

 


今に始まったことではないですけど、目立つことって強いんですよね。
これだけ玉石混交になっていて、少し目立ったくらいでは何の成果も出なくて、プロもアマチュアも含めて情報を発信するメディアが渦巻いている今の時代には、ずば抜けたことをするのが強い。
だから過激なことをするYouTuberが(ある面では)評価されたり、”インフルエンサー”といったポジションの人も出てくるわけで。

ただ、一度クールダウンして、周りを見渡してみると。
普通のことを普通にやっている人が、意外と少ないことに気づいたりします。

一つ一つはなんてことないことのはずなんですが
「面倒だから後回しにしよう」
「こんなことをきまじめにやるのはばからしい」
そんな理由をつけてだんだんやらなくなっていく、そんなことがけっこうあったりします。
効率良く生きるために、それが時短になっているかもしれませんが・・・

「普通を普通にする」というのは、今のご時世だとなかなか難しいことなのかもしれませんね。


大きな花火を打ち上げることが得意な人もいれば、地道に積み上げるのが得意な人もいる。
100%の正解はないのですが。
大きな花火だけじゃなくても大丈夫で、大事なことは何かを考えて進んでいけばいいんだなと、最近の「普通」が残した結果について考えながら思いました。