往年の美少女ゲームクリエイターが集まったアニメとして話題の「16bitセンセーション ANOTHER LAYER」。
舞台となった1992年よりもだいぶ後にネット文化・ヲタク文化に足を踏み入れた私ですが、とても慣れ親しんだ世界なこともあって、楽しみながら、懐かしさを感じながら見ています。
本当は気軽に、肩の力を抜いてみるべき作品なんだと思うんです。
でも、私は2話のとあるシーンに、感情をやられてしまいました。
美少女ゲームの未来に可能性を見いだせず、
「美少女ゲームは、今は珍しいから売れてるけど、こんなのすぐに無くなる」
と吐き捨てる、プログラムが好きな少年。
それに対し、
「なくならないよ!」
と啖呵を切る主人公のコノハ。
そして、こう続けます。
「今にこのアキバは美少女であふれるんだよ!
ううん、アキバだけじゃない。
ゲームにも、アニメにも、マンガにも!
電車やバス、お米やお酒にだって!
美少女キャラでいーっぱいになるんだよ!」
「未来が美少女でいっぱいになったのは、美少女ゲームがあったからなんだよ!
コノハみたいな痛いヲタも、美少女ゲームがあったおかげで、『こういう属性なんですよ、てへー』みたく変換して生きられるし、頑張れるんだよ!」
なんかですね、コノハのこの啖呵を聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私がヲタクになったのは、1992年どころじゃなく、その10年以上後で、その頃はもうネットの時代だったけど。
その時って、美少女ゲームとかキャラクター趣味って、理解されなかったんです。
変わり者扱いされ、冷たい目で見られ、影に隠れざるを得なくて。
損得で考えたら、得はなかったかも知れない。
だから、ヲタクであることを隠した。
まさにそんな時代。
でも、美少女ゲームの持つパワーって、エネルギーってすごくて。
周りからどんな評価されても、その熱量は信じていて。
それが会ったからこそ、私は生きながらえることができたし、その後の人生にも大きな影響を受けています。
これは誇張でもなく、真実です。
あれから、何年が経ったか。
ヲタクが”オタク”として、こんなに一般化する未来が来るとは思わなかった。
何が好きかを大声で叫んでも煙たがられない、そんな時代が来るとは思わなかった。
奇跡なんか起きないけど、あるとすれば、まさに美少女が世界中にあふれているこの未来が成立したこと、まさにこれなんじゃないか、と思うのです。
16bitセンセーションは、あの頃を懐かしく思う人だけが見るべき作品じゃありません。
楽しく見れるはずだけど、きっとどこかに刺さる部分がある。
3話が始まる前に書きたいと思って、一気に書き上げました。
この文章が、誰かのきっかけになったら幸いです。